2011年5月29日日曜日

Atyraに行った

Asunciónから車で約1時間強、Atyra(アトゥラ)の街に行った。
知人のギターマスターの車に乗っけてもらって。

アトゥラはパラグアイ一美しいと言われている街だ。
教会の前にはゴミ問題に取り組んでいるグループの啓蒙看板があったし、路上にはゴミがひとつも落ちていない。
いつも、アスンシオンのゴミゴミした環境で暮らすボクにはウソのようだ!

小学校でギターを弾いて日本の歌を披露した。
この地で活動する青年海外協力隊のYukoさんの職場だ。

3人でバンジョーとギター、ピアニカの組み合わせでなかなかいい感じだったが、なにより子供達がとても喜んでくれたので、とても嬉しかった。
目を輝かせていいノリで盛り上がってくれ、全員に笑顔があふれていたので、写真を撮らなかったのが悔やまれるほどだ。

もともとパラグアイは音楽に関して寛容で、路上で歌っていても、お店の中で歌い始めても、学校や職場で音楽をかけても、週末の夜中のパーティーで大音量で音楽が流れていても、誰にも文句を言われない。
むしろ音楽が無いのがさびしいようにさえ見える。一度お店で歌っていたらビールをごちそうになったことがあるくらいだ。

おしまいの挨拶がおわった後、お返しに子供達が元気いっぱいに歌を歌ってくれた。
・・・しかし、メロディが無かった*_*;・・・強弱だけだ。歌に聞こえない。
何かの朗読かと思った。

でも、どういうことだろうって考えた。
音楽があふれている国なのにメロディが無いなんて。

子供達は楽譜を読まないとYukoさんが言う。
そしてアトゥラの街は静かで、あまり音楽が流れていなかったから、もしかしたらこの街の子供はあまり日頃音楽を聴いていないのかもしれない。

ーーーーー
静かなアトゥラの街の丘の上に登った。

雄大な景色が広がった。
街が樹々にすっぽりと隠れ、向こうに緑豊かな地平線が広がる・・・。
素晴らしい。言葉を失う。

近くのレストランでコーヒーを飲んだ。
ゆっくり静かに時間が流れ、とても落ち着いた。
パラグアイに馴染んでいたので気づかなかったけれど、日本人は清潔で静かなところが好きなんだなと思った。

また来たい街だった。

2011年5月27日金曜日

最初の誕生日

パラグアイでは、女の子は15歳の誕生日を豪勢に祝うらしいが、まだ遭遇したことが無い。
一度同席してみたいものだ。

しかし、男女とも最初の誕生日を盛大に祝うらしいと聞いていたが、今回同席して祝う機会を得た。
若い方の同僚のアゴスト・フレチャ(でも通称スリン)の息子が最初の誕生日を5月17日に迎えたのだ。

前述の5月14日に誕生日を迎えた、もうひとりの同僚ビセンテ・エスコバルさんの車で、21日の土曜日の夜7時に合流して向かった。
道のりは1時間くらいかかる少し遠い場所にある家だった。
いつもここからバスに5時台に乗って、7時前に学校に来るスリンはたいしたものだと思った。

家は自然が多い快適そうな家だった。
夜なので写真をあまりとらなかったが、ボクのあげたプーサンのボールで息子さんが遊んでくれたのでシャッターを切った。
よちよち歩く姿は万国共通に可愛いし、回りで見守る大人達の優しい眼差しに、心が温かくなった。

料理はAsadoで、またまたたっぷり肉を食べて美味しかった。
肉料理には困らないパラグアイは、こういう時にありがたい。
少しビールを飲み過ぎたけれど、楽しい時間をありがとう。スリン。



2011年5月21日土曜日

同僚の誕生日風景

盛り上がったので、14日の同僚の誕生日のことも話そう。

静かな通りにある同僚の家に招かれた。
地元の彼が好きなサッカーチームのTシャツと赤白のワインを買って行った。
その場ですぐ着てくれたので嬉しかった。



前任者があげた手ぬぐいが家にあって、使い方を聞かれたのでねじりはちまきにしてあげた。
するとずっとそのままでいて、ダンスをする時もそのままだった。

このダンスはボクも参加するハメになった。
楽しかった。


食事はどれも美味しかった。
Sopa Paraguaya、Pollo hornoそしてメインのAsadoに、サラダも付いてフルコースだ。
飲み物もビールとワイン、ウイスコーラにカーニャコーラだ。
お腹がいっぱいになった。



楽しく酔った。
エスコバルさんはいい人だ。
優しい人だ。
一緒の写真を何枚か撮った。





それぞれが連れて来た子供5〜6人いた。
みんな可愛かった。
昔の自分を思い出すようなお茶目な子がいたり、おしゃまな女の子がいたり、パラグアイと日本人は子供の時から気質が似ているなと思う。
インディヘナの血なのかなんなのか。
共に鎖国時代があったことも関係してるのかな。

そして、Eusebio AyalaとKubitschek通りの交差点までわざわざ送ってもらって、29番のバスに乗って帰って来た。

いい日だった。

2011年5月16日月曜日

Adobeがやって来た話

3月の半ばだったか、勤務先の職業訓練校でパソコンとAdobe Photoshopを入れた。
パソコンはWindowsだが、珍しくメーカー品(DEL)だし、スペックもなかなか高い。

本当はMacintoshにしたかったが、パラグアイではWindows+Corel Drawが一般的だし、これまでのPCとの互換性を考えて妥協した。
確かに卒業生の進路としては小さな印刷屋が多く、実情には合っているけれど。

Photoshopについては、写真加工に優れているので入れた。
でも導入の際にAdobeのデザインスタンダードにしたので、IllustatorもIndesignもAcrobatも入っているのがミソだ。
Windowsとはいえ、これでグローバルスタンダードの環境ができあがったことになる。
その一端を生徒に見せることができる。そして他国に行っても活躍できる可能性ができる。

そしてボクは、印刷屋さんが必要な基本の体型立てたデザイン手法をテキストとしてまとめる必要がある。
学校に行かず集中して作りたいが、そうも行かずに午前中の学校のパソコン中心に夜や休みも使っている。

なんで時間が掛かっているかというと、生来のナマケモノ癖もあるが、何よりスペイン語のせいだ。
ソフトウェアもマニュアルも全部スペイン語・・・(~_~;)。
それにスペイン語のデザインに関する書籍を本屋で数冊購入したので、解読にも一苦労。日本語で書けても翻訳に一苦労・・。あぁ。

しかし少しずつ出来て来ているので、この調子でがんばろう・・・。
授業で本を使う習慣が無いようなので、後々も使ってくれるだろうことを祈って。

2011年5月10日火曜日

トルメンタ

今日のアスンシオンは未明から激しい雨と風とカミナリで、午前中ずっと続いている。

このような大雨をトルメンタと言うらしいが、騒がしいことの例えに「トルメンタのようだ」と使うところは、日本と似ている。

写真は窓から見た雨のアスンシオン市内。

実はこの日記は4月半ばのものだ。
下書きとして置いてあった。

しかし、5月でも相変わらず時に空は荒れる。
地震も津波も台風も無い国だが、トルメンタは結構すごい。
道の悪いのもあって道は川のようになってしまう。

バスも車も立ち往生する。
子供は学校へ行けなくなる。

そういえば地震が無いので建築基準も特に無いようだ。
数日前に未明に突然床が落ちたビルがあったとか。
怖いなぁ。

2011年5月7日土曜日

建国200周年

今年はパラグアイがスペインから独立した1811年から数えて、ちょうど200年になる年だという。
南米各国がだいたい同じくらいの年に独立しているようで、去年から今年に掛けて各国で催しが盛んのようだ。

そしてこの5月14日(14 de MAYO)は記念すべき独立記念日に当るとかで、今月に入り盛んに催しが開かれ街中が国旗で溢れている。
公共の建物や通りはもとより、赤白青のトリコロールが街のいたるところで見られる。

今日聞いたらアスンシオンのメイン通りのMcal. Lopés通りにさえも、横断幕が張られているようだ。見てみたい。
年の初めから少しづつ盛り上がっていたが、その日が近づいていよいよ最高調という訳だ。
各地で公園や会館を使って、イベントが目白押しだ。

そんな中、学校でも建国200年記念行事が5月6日の金曜日に開かれた。
全校の教員、生徒、スタッフに少し父兄がサッカー場(cancha)に集まって、舞台設営から企画、出演、運営まで学生が取り組んだ午前中一杯の行事だ。
司会だけは、一番美人と話題の確か情報科の若い女性教員が行っていたのが面白かった。

内容はパラグアイのトラディショナルなものが多く、ダンスやギター演奏、歌、寸劇などだ。
全部で20ほどの出演があったが、やはりダンスが一番華やいでいた。
演奏はかなりひどいものもあったが、みんな楽しそうで自信に満ちてやっているのが印象的だった。

このイベントの後、もらった紙製の旗は印刷科の教室に飾られている。