2011年10月29日土曜日

中間発表会/Debriefing Sesión del Período Intermedio

勤務先の学校。まさにこの建物で働いている
1年が過ぎ、中間発表会の日が近づいて来た。
先生方みなさんお集りいただいて、JICAの人やら役所の人までやって来る。

何を話そうかな。
とりあえず1年間やって来たことを話し、これからの1年でやりたいことを話すのはいいとして・・プラス何を何を話そうか悩む。


やはり専門のグラフィック・デザイン一口メモや色の話しなどのノウハウ系、日本のこと、パラグアイの印象などを入れるか・・。
学校風景に学校のマスコット犬を歩かせてみた
聞く立場からすると、やはりグラフィック・デザインで来てるのだから、その辺の話を期待するだろうし、パラグアイや学校の印象も聞きたいだろうし。

とにかくデザインと名が付く仕事をしている以上、発表はビジュアル中心に文字ではなく写真を見せながらやろうと思うが、撮り貯めた学校の写真と加工した笑えるネタの他に、日本の風景、特に地元北海道の景色などをネットから集めて見せたりしようか。
ーーーーー
一番最近の仕事
なかなか人前で話す機会が無いので、進行の方法も悩み。
やはりちゃんとガイドをするように、これから話すことをまず言って内容に入り、寝られないようにサプライズを用意して、最後に次につながる一言くらいは仕込んでおかないとダメなんだろうな。

とにもかくにも、早い目に作って一度練習することだ(これが普通はなかなかできない)。

でも、1年の活動振り返りの最後が職業訓練校のパンフレットになりそうなのは、いいタイミングだ。
あ、オブジェも完成間近だから写真を撮っておこう。
ーーーーー
一番の問題はスペイン語での発表ということだ。
今の語学力では、同僚の先生と共演の形にするしかないな・・。

2011年10月28日金曜日

芸術の街アレグア/Aregua, Ciudad de artesanías

カルチャーセンター兼ギャラリー
少し前の9月始め芸術の街アレグアに行ったときのことを、記録代わりに書いておこう。

アートの街だというので気になっていて、いつも通勤で通るEusebio Ayala通りを直通バスが走っているのを見ていたので、ある晴れた休日の土曜日、バスに乗って行ってみた。

後日、家具美術館にも行きたかったことを思い出したが、残念ながら当日は記憶からすっかり飛んでいた。
まぁ面白かったし近いので、また行けばいいか。
教会、湖美術館、ギャラリーをいくつか、海岸、駅跡、そしてお土産屋やレストランを回った。

観光案内所
途中で観光案内所を見つけたので寄ってみたが、ちゃんとしたカラーの観光地図があって驚いた。
その前に役所にも地図をもらいに行ったが、役に立ちそうも無い見にくいモノクロのコピーを渡されただけだったのもあって驚いたのだ。
連携ができてないな。

でもこの観光案内所、「存在に気付いた人が来ればいい」式で、土曜日なのに誰も訪れていなかったし、係の人もヒマそうに外を眺めていた。
立派な建物なのだが、もったいない。
ーーーーー
結婚式の行われていた教会
アレグアの街は、なんだかまだまだスペイン領土時代の名残があるようで異国情緒がある。

教会も立派で裏から回って行ったのだが、楽しげなラテンな歌声とギターの音色が中から聞こえて来たので覗いてみたら、ちょうど結婚式をやっていた。

新婚カップルが幸せいっぱいの表情で、日本よりくだけた服装ながら着飾った友人達ににぎやかに囲まれていた。

この教会は高台にあり見晴らしがいいので、気持ちも晴れる。
深呼吸して丘を下って海の方へ向かった。



ーーーーー
今回の訪問では湖文化センター(El Centro Cultural del Lago)が収穫だった。

そこそこ広い美術館なのになぜか見れない場所があったのが残念だが、地元の陶芸の新しいチャレンジや原住民インディヘナの芸術に触れることができ、スペインの映画上映もされていた。




上2枚:湖文化センター
地元の文化発信地あるいは文化交流の場という意気込みを感じた。

ーーーーー

レストランも楽しかった。
もちろん冷たいピールセン・ビールを飲んで、確かBife Coguaを食べた。
ウエイターが感じが良くて、庭もきれいで、気候も良かったので、すっかりいい気持ちだった。

湖文化エンターにあった陶像
最近まで観光用の汽車がアスンシオンから来ていたという駅の跡地では、草が生い茂っていて牛達の通路になっているらしく、牛飼いの少年に会った。

きりっとしたなかなか精悍な顔つきの少年で、見ず知らずのボクにちゃんとした挨拶をしてきた。
服装など見ていると貧しそうだが、なんというか礼儀正しい立派な子供という印象を受けた。


湖岸ではボートがあいにくの強風に耐えるように陸揚げされていて、家族連れとアベックが心地良さそうに湖面を見ていた。
どこも波打ち際は心地いいもんだ。
ーーーーー
レストランを出てほろ酔い加減で陶芸中心のアルテサニアを見回っていたら、そろそろ帰る時間となり、店のにいちゃんにアスンシオンのセントロ行きの緑とグレーのバスを教えてもらって、メルカドクワトロ辺りまで帰って来た。

レストランの食事とバス代以外何も費わなかったが、楽しい一日を過ごせた。



2011年10月20日木曜日

パラグアイの通貨/Dinero en Paraguay

居るうちにパラグアイの通貨を記録しておこうと思う。
ーーーーー
聖人ロケ・ゴンザレス。裏はItaipuダム
通貨単位は「グアラニー」。
「ガラニー」と言う人もいるが、「Guarany」と書くから「グアラニー」が正式だろう。
通常Gs(グアラニーエス)と表記されている。
ちなみに円はスペイン語圏なので「ジェン」と発音される。
ーーーーー
さて今流通しているのは、札が100,000Gs、50,000Gs、20,000Gs、10,000Gs、5,000Gs、2,000Gsの6種類で、コインが1,000Gs、500Gs、100Gs、50Gsの4種類。
(100,000札は、新旧3種が手元にあったので写真に載せた)

桁が多く数えにくいので、こちらの人達はGsを言わないで、mil(ミル=1000)を付けて100mil、50milなどと数える。
バス料金は2300Gsなので、「2mil300(ドスミル・トレスシエン)」などと言う。
ただ「12(ドセ)」との区別のためでもあるようだが「s」の発音を省く傾向があるので、「ドミルトレシエン」と言うことのほうが多い。





ーーーーー
著名なギタリストのアグスティン・バリオス。裏もギター
1ドル換算は、この国に来た昨年の9月末あたりは5,000Gsに迫る勢いだった。
この時は確か1ドル86円あたりだったと思うので、1円が58Gs位だったことになる。

でも、米国デフォルト問題あたりからドルが急に3500Gs位まで下がって、狂牛病問題でドルが上がっているはずの今もあんまり戻らず4000Gs前後で推移している。
1ドル77円だとして計算すると、1円が52Gsくらいか。
カンタロ(壷)を抱くパラグアイ女性。裏は中央銀行

めんどくさいので日頃は1円=50Gsで計算している。
100,000Gsで2,000円だ。




ーーーーー
最初の執政官フランシア博士。裏は独立革命の様子
10,000Gsと5,000Gsは老朽化して汚くやぶれもあるような札があまりにも多いので、さすがに中央銀行が最近回収して新札と交換し始めた。






初代大統領カルロス・A・ロペス。裏は大統領府

古い方は、もう「え!」と思うほどボロボロが多い。
この写真は、すいぶんマシなのを選んで載せた。






ニャンドゥティの創始者スペラッティ姉妹。裏は行進

札では2,000Gsが一番特徴的で、紙ではなくプラスチック製のような感触で、透明な窓があり、折り曲げにくく、かさ張る。
できればあまり持ちたくないが、よく留まる。





ーーーーー
1milは英雄霊廟。裏はロペスJr.
コインは、右写真の上から順番に、1000Gs、500Gs、100Gs、50Gs。
50Gsだけはアルミ風の安っぽい質感だが、他は新品のときは、日本の100円玉や500円玉のようにキラキラと輝いている。
ーーーーー
お金のパターンは写真を見れば分かるように、片面には歴史上の人物が描かれ、裏面はだいたい建物が描かれている。

コインは、面白いことに裏表で上下が逆になってる。

500Gs。中央銀行
パラグアイの人たちは、まぁ他の国もそうなのかもしれないけど、とても愛国心が強い。
このお金の人物や建物についても、ちょっと年配の物知り顔の人に質問すれば、たくさんの話をしてくれるはずだ。
ーーーーー
歴史と言えば、原住民の言葉であるグアラニー語はスペイン語と並んでこの国の公用語になっている。
そして、かつて国策でもあったようだが混血が進んでいるので、他の国に見られるような人種差別はあまり無いようだ。

100GsはHumaitá遺跡
原住民の神話も言葉と共に生きているようで、神話に登場する妖怪のようなモノを本当にいると信じている人も居るのには驚かされた。

まぁ日本でもあちこちに民話が残されていて、自然の中に住む神々やカッパ伝説などが今もあちこちで信じられているから、自然と共生して生きて来た人々の自然を畏敬する気持ちの現れなんだろうな。

50GsはAcarayダム
ボクが思うに、それはいいことだ。
自然の中にはやはり神が潜んでいて欲しい。










※参考サイト
http://www.bcp.gov.py/index.php?option=com_content&view=article&id=34&Itemid=188
(パラグアイ中央銀行)

2011年10月18日火曜日

スリ被害/Víctima de la carterista

アスンシオン、セントロ近くのアサーラ通り
スリに合った。

おそらく3人ほどのグループだ。
かなり強引なやり方で、取り囲んで押して来て体勢を崩したので、両手でつかまったりたりしているうちに、ズボンの携帯電話を盗られた。

「やられた!」と思った。

でもその最中はスリだと思わず、連中は狭い中行ったり来たりしたので単に何をしたいのか分からない変な奴らだと思っただけだった。

男達が去ってから、ほんとにヤな奴らだだったなぁと一息付き、ふと不安になって財布を確認したら・・ちゃんとあった。
しかし、ほっとしたのもつかの間、すぐに携帯が無いのに気付いた。
ズボンから、携帯に付けていたヒモだけが主を失って哀れにぶら下がっていた・・。
ーーーーー
アスンシオンの朝焼け
しかし、あの手口は強引だが、かなり巧妙だ。
防ぐ事は難しい。
ワイアーか何か、なかなかちぎれない材質で結んでおくしか無いが、それでは今度は身が危険だろう。

狙われたらプロからは、なかなか逃げられない。
狙われないようにすることしか、対策はない。
ここにいると日本人というだけで目立つため、それも難しいけれど・・。
ーーーーー
完璧な犯罪体験はこれが初めてだけど、ストリートの金乞いも犯罪予備軍だ。
ドラッグも子供達にまで浸透して、わずかな金欲しさに犯罪に走る子供も多いと聞く。
なるべく夜一人で歩かないようにしているのは、そういった話を聞かされているからだ。

金乞いと言えば、バスにはよく物売りや金乞い達が乗って来る。

彼らの一部も、ひったくりなどの犯罪を犯すらしい。
イヤリングやネックレス、時計なども危険だと注意された。
ーーーーー
たまに行くプランタアルタのあるビル
と!
今、拳銃強盗に巻き込まれた話しを本人から聞いた!
土曜日曜のバスは、乗客が少なく危ないようだ。
彼の場合、夕方4時頃に乗っていたバスに、いきなり若者4〜5人で乗り込んで来て、運転手を銃で殴って負傷させ、売上金と乗客一人ひとりの金品を奪ってから、脅しに1発撃って逃げたのだという。

彼は、たまたま盗られなかった中の一人となってラッキーだったという。
銃は怖い。
これも逃げられない事件だが、たまにあるのだという。
ーーーーー
僕が体験した物乞いで一番強烈だった「抱きつきおばさん」もついでに書いておこう。

ある昼下がりバスに乗っていたら、いきなり丸っこくて小さいおばさんが、歌うような口調で叫び始めた。
小銭をせびるための口上を大声で始めたらしい。

こんな時ボクはいつも無視する。
ギター弾きや物売りはたまに小銭を渡すけれど、ただの脅迫めいた金乞いはイヤだからだ。

ところが、このおばさんは強烈だった!
なんと、その汚れきった姿で乗客一人ひとりに抱きついてキスをし始めた!!
前から順に襲って来る。

皆抱きつかれるのがイヤで、あわてて小銭を用意し始めた。
ボクももちろん用意して、近づいて来た時に手を伸ばすようにして渡した。

こればかりは参った。あきらかに脅迫だ。
あのおばさんにはもう二度と会いたく無い。
ーーーーー
少し高級なビジャモラあたりの通り
でも、身近なところで一番の問題はバイク犯罪だろう。
2人乗りのバイクで通行人のバッグをひったくるのだが、加速度が付いているのでひったくられたほうは転んでしまうことが多い。
骨折などの傷害や死亡リスクを伴う。

最近、実際に直接では無いが近しい日本人が被害に合い転倒して頭蓋骨骨折の重傷を負った。

バイクは交通事故件数でもナンバー1だというし、騒音や大気汚染の問題を引き起こしたり、暴走族のようなグループが住民と揉め事を起こしたり大きな社会問題の一つとなっている。
ーーーーー
他にも痴情のもつれからが多い殺人事件や、EPPというテロリスト集団の誘拐や爆弾事件など・・少ないが大きな犯罪も確かに存在する。

もう犯罪には会いたく無いので、犯罪情報に耳を澄ませていよう。
自己防衛には情報が一番だ・・。

2011年10月11日火曜日

パラグアイ国立交響楽団/Orquesta Sinfonica Nacional Paraguay

豪華なステージ
週末に初めてパラグアイ国立交響楽団(Orquesta Sinfonica Nacional Paraguay)の演奏会に行った。
またまた建国200年祭の一環で、入場無料の演奏会!

場所はタンゴを楽しんだのと同じ中央銀行のホールだが、今度は小ホールのほうだった(Sala de Convenciones del Banco Central del Paraguay)。

タンゴの時は1時間前から長蛇の列だったので、同じ轍は踏まないと、念のため1時間前の7時半に行ったら、まだリハーサル中でドアさえも開かれていなかった。

ダントツの一番乗りでした・・。
ーーーーー
ロビー
結局、入場を開始したのは8時15分位からで、それまでは昼間暑かった名残のノドの渇きを潤す方法も無いまま、ひたすらロビーをウロウロしたり腰掛けたりして待った。

しかし、待っていると、出演者のお母さんという上品な白髪のご婦人が話しかけて来た。
非常に分かりやすい発音のスペイン語だが、返事は「ウィ」と言うので、「フランス人なんですか」と訊ねたら、夫がフランス人だという。

娘も年末までの契約で、年が開けたらフランスに戻るのだそうだ。
国際的なオーケストラなんだな。
ーーーーー
航空機のようなホールへの通路
ホールに入ったら、今度は横に座っていたアルパの制作者だと言うおじさんが親しげに話しかけて来た。
東京に何度か行った事があるということで、日本人と話したかったようだ。

「こんばんわ」と日本語で言われた。
彼はなぜか本格的な大きなビデオ機材を担いで来ていた。
ーーーーー
ちょっとクーラーが効き過ぎの中、おもむろにいい感じで演奏会が始まった。
客の入りが悪く、拍手が少ないのが可哀想なくらいだった。

心地よい演奏
だってステージから落ちそうな人数のフルオーケストラですよ!
しかもボクが聴く限り、アスンシオン市立交響楽団よりかなりレベルが高い本格的なプロ楽団だ。

ロビーで会ったおばあさんの子がいるというバイオリン軍団の音も、きれいによく合っている。





プログラムを記録しておこう。

ーーーーー
・Obertura de "La Italiana en Angel".....Gioacchino Rossini
・Concierto No.2 en Re mayor, Para Violoncello y orquestra.....Joseph Haydon
“Solista : Myriam Santucci (Aegentina)”
[休憩を挟んで]
・Obertura de “Nabucodonosor”.....Giuseppe Verdi
・Sheherazade (Suite sinfónica).....Nicolái Rimsky-Kórsakov
ーーーーー
という曲目だった。

BCPホールからの帰路
いやぁ心地いい時間でした。
帰りの足取りも軽かった。

この日はちょうどコンサートが終わったころからペルーで、次回のワールドカップ予選も兼ねていると聞くパラグアイとペルーの試合があった。

師匠宅でいろいろ美味しいものをいただきながら、ビールで乾杯して、ワクワクしてテレビを付けた。

が!
新生パラグアイのプレーぶりはこの日最悪で、いいところ無くあっさり完敗し、なんだか最後は欲求不満の残る日になってしまった。
ーーーーー
頼むよパラグアイ選抜!
負けてもいいから、意欲の見える試合運びをしてくれよ〜。
縦縞が泣くよ。

次はアスンシオンで因縁のウルグアイ戦だ。
最悪の初戦の教訓を生かして、どこまで魅せてくれるか期待しよう。

2011年10月9日日曜日

USB端子の会話/La Conversación de Puerto USB

USB端子には顔がある。
コネクション時に会話しているのかも。
すべてのUSB端子を見たくなった。
ーーーーー
「あいつオマエのことが好きらしいよ」「え!」
「あ、あのボクのパソコンで映画でも一緒に見ませんか」「喜んで!」

「あの2人今度結婚するらしいで」「え!ホンマかいな?オレ狙ってたのにな・・」
ーーーーー
パソコンにばっかり向かってると、こんな会話が聞こえて来るようになりますよ。
みなさんお気を付けて。



2011年10月8日土曜日

イベロ・アメリカ教育会議/Congreso Iberoamericano de Educación

9月の最後の週に、CONMEBOLと呼ばれる南米サッカー連盟の建物(コンベンションセンター)に入る機会を得たことを書いておかなくちゃ。

中南米+スペイン+ポルトガルのイベロ・アメリカ教育会議だ。
よく分からないまま突然、教師の研修があるから行こうと言われ出席した。

朝7時に待ち合わせ、同僚のエスコバルさんの愛車・京都日産のシールのある左ハンドルの2000年型「日産サニー」で空港近くのサッカー連盟ビルへ。

よく晴れた日で、きれいな青空に栄える大きなサッカーボールが目印だ。

「Museo del Fútbol Sudamericano」の文字が見える。サッカーミュージアムになってるんだな。

しかし、南米サッカー連盟の本部がアスンシオンにあるのは驚きだ。
どういういきさつなんだろうか。

↓連盟のホームページ
http://www.conmebol.com/
ーーーーー
エントランス
エントランスにカラフルなバナーがたなびき、威厳さえ感じるほどなかなかに豪勢で近代的だ。
最近出来たビルのようだ(ホームページには2009年1月とあるから3年弱)。

入り口で資料とネームタグを渡されて中に入ると、広いホールの中に同僚の見立てで約5000人の参加者が続々と席に付いていた。

照明がすでに少し落とされ、ホールが横長なため横に5面ある大型スクリーンには、パソコン画面のデモンストレーションが流れている。
テレビカメラや新聞のカメラマンとおぼしき人達の姿もある。

ざわざわとした大きなホール独特の雰囲気に、なぜかコンサート前のように心が躍る。
ーーーーー
実際、MCが大声でオープニングを告げると、音楽の演奏が始まった!
ギターとコーラスでなかなか楽しげに、正装したミュージシャンがハーモニー良く、ラテンな曲を歌い上げオープニングを大いに盛り上げた。
さすが、ラテン系だなあ。固い会議でもお祭りにしてしまう。

スペインの教育相などお歴々
その後、パラグアイの副大統領と教育文化相、スペインの教育相など、様々な来賓のお歴々が演説した。

演説が終わって休憩時間になり、近くのレストランへ同僚達と4人で朝食を摂りに行った。

そこで演説内容の話が出たが、突然「誰が一番演説がうまかったと思う?」と問われた。
でも正直に「そこまで分かるほどスペイン語が上手くない。けれど副大統領が一番受けてたね」と言うと、「政治家はしゃべるのが仕事だからな。中身はスペインの教育相かな」と同僚。
「まだ飢えた子供がいる横で食事の美味しさや質は求めない」というたとえで、まず全国民への平等な教育を充分に行き渡らせることが最優先課題だと、熱く語ったと言う。
ーーーーー
休憩が終わり我々が席に戻るころには、少しメンバーを替えコロンビアの前大統領やアルゼンチンの大会役員を加えて、パネルディスカッションが始まっていた

・・・これが困った事によく分からない。
集中しても分からない単語が出るたびに分からなくなる。
全然勉強していないから、自業自得・・(;_;)。
ーーーーー
会場を埋め尽くした参加者。立ち見まで!
そのまま演台ではメンバーが入れ替わり、チュニジアや韓国、ドイツの教育専門家まで現れ、パラグアイやスペインの役員に混ざって、事例発表が始まった。

外国の事例なら少しは興味が持てるかなと期待したが、話しばかりでこれもよく理解できない。

韓国の女性スピーカーだけはスライドを用意したが、文字だらけで色使いも悪く、ほとんど見えない。
同僚もあきれ顔で「カメラで撮っておいてくれ」とささやく始末。
話の中身もお国自慢で終わった印象だった。

結局、このカンファレンスは同僚にも評判が悪かったようで、昼前に「レストランが混むからすぐ出よう」と促されて途中で外へ出た。
しかし、外ではすでに昼食を求める長蛇の列ができていた・・。
ーーーーー
ここで僕はギブアップして、会議を去った。
昼からはテーマ毎に小さなグループに分かれるというので、ディスカッションでも始まるのかと逃げ出したのだ。

後日、同僚に聞いたらディスカッションは無く聴講だけだったようだが、逃げ出して正解だった。
もう聞くだけも耐えられなかったからだ。
ーーーーー
スペイン語をもっと勉強して来年(もし出れたら)出直します。

2011年10月6日木曜日

スティーブ・ジョブスが死んだ/Steve Jobs murió.

スティーブ・ジョブスが死んだって!
今朝のニュースで知った。

56歳だって・・若すぎる・・。
「大切なのは自分の心と直感を信じる勇気を持つことだ」
とかつて語ったという。

その通りの人生だった。
革新を常に起こしてくれた。

今、この日記もMacBookで書いている。
安らかに。

Jobsの死を報ずる新聞(ABC)文字なんとか読める?


2011年10月3日月曜日

小さなバス事故にあった/Accidente de Colectivo

写真は本文とは関係無いアレグア市を走るバス
昨日、初めてバス事故にあった。
乗っていたバスが前の車に追突したんだけど、ほんとにびっくりした。
でもささいな事故でケガも無くて良かった。

小さく古い15-3番のバスで、セロコラ通りから乗って、マリスカス・ロペス通りをもうちょっとで目的地という場所で、大きく立派なベンツみたいな車に、いきなりゴツンとぶつかった。
車は後ろが少し凹んで、後部座席に乗っていた女性が頭を痛そうに押さえていた。
ーーーーー
バス車内では、流しのギター弾きの珍しくドレッドヘアでエレキギターのにいちゃんのなかなか渋い歌が終わり、車内が静かになり気分よく少しウトウトしかけた時だったのですごくびっくりした。

前の椅子にしこたま膝をぶつけ、手もぶつけた。
けれど、大事に至らなくて良かった。
多少痛いだけだ。

となりのおばさんはかなり手が痛そうだったけど、どうしたろう。
僕は先を急いでいたので、運ちゃん同士が話してるのを見て遅くなるのを避け、すぐバスを降りて急ぎ足で目的地まで歩いたから、事故後を見ていないのだ。

運ちゃんはもうかなりお年な感じだった。
僕へのおつりも計算を間違えてたし・・。
ーーーーー
高齢者の就職はどこの国でも難しい。
特に約4割が貧困者と言われ、ストリートにあふれる人の多いこの国ではなおさらだろう。
バスの運転手にもなかなかなれないんだろうな。

彼は無事に事後処理を終えて、バスをまた走らせる事ができただろうか?
バス会社だから保険とか入ってて金銭的には心配無いだろうけど、彼の運転手としての今後がいまごろ心配になって来た。