2012年10月31日水曜日

パラグアイの警察/Policía en Paraguay

飲酒運転を取り締まる道路警察(Ultima Hora)
2種類だと思っていたら、パラグアイの警察は3種類だった。

内務省管轄の逮捕権のある一般的な国家警察(Policía Nacional)と、それぞれの市が管轄する交通取締なんかをやってる市警察(Policía Municipal)は知っていたが、他に建設省系の道路警察(Policía caminera)というのが存在した!

それぞれにサイトがある。
市警察は見つけられなかったので、Facebookページ。
http://www.policianacional.gov.py/index.php(国家警察)
http://www.facebook.com/DIRECCIONPMT(市警察)
http://www.policiacaminera.gov.py//camineraweb/index.aspx(道路警察)

国家警察の音楽隊。ビッグバンド・ジャズも演ります
今頃なんやという感じだが、車を運転しないボクは道路警察と市警察を、完全に混同していた。
それもそのはず、道路警察の業務は市警察ととても似ている。
市警察と違って、国道の取り締まりを担当するのが道路警察らしい。

でも市警察とスピード違反なんかの見解が違うとか、縄張りを越えた交通コントロールがあるとかで、市警察とたびたび揉めているようだ。
市民の側からも、この二重状態の取り締まりを面白く思わない人も多いと聞く。
しかし省庁も違うから、既得権益の綱引きかなんかでなかなか改善されないんだろうな。
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国家警察(左)市警察(右)一緒によく警備している
一番よく見かける国家警察はカーキ色の制服を着ていて、市警察は紺色制服にオレンジ色の反射体をタスキがけにしょっていることが多い。
道路警察は、基本的にグレーの制服を着ているが、やはり交通取締には反射体をタスキがけをしていることが多いので、すっかり混同していた。

同じように見えていたが、つまりよく街で交通整理をしているのは市警察で、国道で検問を張ってるのが道路警察ってことだな。
賄賂の問題等で結構評判が悪いけれど・・。

・・と、書き進めて来たらいいサイトがあった。
パラグアイの観光ガイドだが、警察の事が詳しく書いてある。
http://www.guiadeturismo.com.py/autoridades_y_sus_competencias.html

国家警察の青い新制服(Crónica)
と今日の朝、真新しい「青い」制服を着た国家警察を見たので、「おや?」と思っていたら、どうやら汚職などの悪いイメージ一新のため制服の色を変えている途中らしい。
9日から支給が始まり、来年までかかって替えるらしいが、一斉にやらないのはパラグアイらしい。
http://www.hoy.com.py/nacionales/policia-nacional-se-viste-de-azul-desde-hoy

この新制服、4月の選挙に合わせて現大統領のリベラル党の青色を使ったと揶揄もされているようだが、まだ新品のきれいな感じでなかなかいい感じに見えた。
特に帽子がもっさい角のあるキャップから、おしゃれなツバ無しのモノに変っている。
でも日差しの強いパラグアイでは、きっと前のようにツバのあるもののほうが実用的だろうな・・と他人事ながら心配する。
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国家警察のマーク
ついでに前に聞いたシンボルマークの話しを書いておこう。

国家警察のマークについてだが、中央にあるのはパラグアイの国の形の上に、Gallinaと呼ばれるニワトリのような鳥がいる。
これは、この鳥が何かあれば夜中でもうるさく騒ぎ用心にいいことから、24時間街を見回る警察のシンボルとなったものだ。

しかし確かに24時間体勢で国を守ってくれているが、街の警察官を見ていると、金融関係や薬局、宝石屋といった店先にたむろしていて、民間のガードマンと変らないように見える。
市警察もやっぱり鳥がモチーフ?
おまけにノーヘルでバイクに乗ったり、トラックの荷台の縁に大勢で腰掛けてだる〜く移動する姿を見ていると、いい加減だなあと思ってしまう。

道路警察のマーク
しかし要人を警護する白バイの警官はちょっとかっこいいし、スリ騒ぎの時もダッシュで駆けつけていたし、何よりあのCurguatyの警官と土地無し農民の衝突のように命を賭して正義の仕事に当たってくれる姿は、日本の警察と変らず頼もしい。

街のあちこちに立つ警備員も普通にライフルを持ち、家に護身用のピストルを持っているこの国は、安全の意識がやはり日本と違うから警察の意識もずいぶん日本と違うんだろうな。

そういえば、今日はハロウィーンだ。
・・でも、ボクはまったく関係無く仕事してます。





2012年10月30日火曜日

パラグアイの日本展/Expo Japones

日本展のチラシ
日本パラグアイ文化センター(CPJ)で、10月最後の金土曜に「日本展」があった。
イベントは土日が多いのに、なんで金土なんだろう?
主催は日本大使館と、日本都道府県協会連合会というような名前(La Federación de Asociaciones de Prefectura del Japón)になっている。
なにか主催者の都合があったのだろう。

ボクは土曜日に、ほぼ最初からの10時ころから行ってみた。
暑い暑い土曜日で、きっと40℃超えをしていたはずだ。

パンフの裏書きには、北海道、岩手、秋田、宮城、群馬、岐阜、新潟、三重、京都、大阪、島根、徳島、香川、高地、福岡、熊本、鹿児島、長崎の記載はあるが、出品ブースはもっと少なかった。

チラシの出展ブース配置図を見ると、北海道、岩手、群馬、新潟、徳島、香川はあるが他は無く、逆に東京、千葉、兵庫、滋賀、広島がある。
会場のCPJ。日パアスンシオンの旗がひるがえる
う〜ん・・裏書きのほうはお金を出した自治体で、出展しなかったところもあるという意味だろうが、出展しているのに裏書きが無いのはどういうことなんだろう?
主催者の事情は知らないが、分かりにくい表記の仕方だ。
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会場は暑い日だったのもあって、全体にお客さんが少ないように感じた。
昼など、閑散としてスタッフの方が多い印象だった。
少し前に行った日本語学校の盆踊り大会が人が溢れるほど盛況だったので、よけいそう感じられる。

でも、これは広報力の差もあると思った。
ボクのいるホテルにも盆踊り大会のポスターがあり、あちこちから一緒に行こうと声があった。
賑わうJICAブース
それに比べて今回はたまたま知って目的があっていったものの、どこにもポスターは見なかったし、ネットでも告知を見なかったし、集まった人はどうして知ったのかボクは不思議なくらいだったから。

JICAブースの折り紙や書道の名前を漢字で書くサービスや、着物の着付けは無料なこともあって午前中盛況だったが、他のブースは暑い中ヒマそうにしていた。
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さて、ボクは会場の賑やかし+Artes Gráficas科の宣伝も意味も兼ねて作った立体ハガキの市場調査目的で行った。
というのは学科のプロモーションと学費稼ぎに学校外部で展示会をやる計画をしていて、そこにボクの作った立体ハガキを出展しようと思っているからだ。

展示していた立体ハガキ
今回は「折り紙建築」という親しみある名前で、同僚の作ったモノクロ建築を1mil、ボクのカラーアスンシオン名所建築を3milという原価価格で試験的に販売してみた。
少しの金額でも、売らなければ本当に欲してもらってるか分からないからだ。

本番のフリーマーケットでは5milで売りたいと思っている。
そのときはレーザープリント出力で、抜き型できちんと抜いた本格的なものを売る予定だ。
学校では他にもTシャツやノート等、着々と準備を進めている。

今回は結果的には30mil程度売れただけだったが、売れたことで次の展示会への自信となった。
しかし製品としてきちんとしたものにして本番を迎えたいが、港のフリーマーケットは担当者が変って、前のような毎週定期開催ではなく、いつか分からないほどの不定期開催で、おまけに今回の担当者は前の担当者のように我々に好意的に接してはくれないので、本当に開催できるのかどうかまだまだ不安だ。
他の場所も探したいが、学校で出展できる場所がどこにあるのか検討も付かない。
今週中には結論を出したい。
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日本の伝統的な踊りなんかも紹介されました
話しは戻って、「日本展」はパティオを使って各地の踊りや琴や太鼓の演奏なども行われていたが、あまりの暑さに可哀想な感じだった。
出店していた友人も売れ行きはさっぱりだったと言っていた。

我々は午後3時ころ会場を後にして戻って来た。
そして日本人の知人宅で、夕食をごちそうになりいろんな話しをした。
ギターも持って行ったので、賑やかしの歌をみんなで歌ったりして楽しい時間を過ごした。
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暑過ぎる中、試合が行われたことに批判も(ABC)
同時刻にはアスンシオンの2大クラブチームであるセロ・ポルテーニョとオリンピアの今年最後のクラシコ試合が行われていたが、知人宅では放送していたテレビ局「ウニカナル」はアンテナの関係で映らないので見れなかった。
結果は、セロの4対1での勝利だったという。

ボクがパラグアイにいる期間では最後の試合なので、応援していたセロが勝って大変にめでたい気持ちになった。
学校の同僚は、彼の兄の家で家族ぐるみで観戦して、叫びに叫んで喜んで暑さでビールも飲みに飲んで勝利を祝ったという。
月曜日に会ったら、まだノドが痛いと言っていた。
(この土曜日にちょうど開催されていたマラソン大会でも、暑さのために6人が病院に収容されたようだ)
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まったくパラグアイの人たちはサッカーが好きだなぁ。
ボールひとつでできる気楽さが普及の理由なんだろうけど、まるで政治問題を語るように同感覚でサッカーの話しをするのは面白い。

部屋からの満月
アルゼンチンチームとセロがアスンシオンで戦ったときは、アルゼンチンのファンが負けた事に怒って、セロの施設を破壊し、周辺の車を壊し、商店まで襲って、警察が大勢出る騒ぎになった。
前のブラジルチームとの試合の時も、相手ファンは勝ったくせに暴れて帰ったから、少し暴れることが常態化しているのかな。

でも・・帰国したらもうセロの試合をセロのスタジアムである通称「La Olla(鍋)」で見れなくなるのは悲しいなぁ。

そういえば今日は満月だ。
少し寂しく部屋から月見をしよう。




2012年10月21日日曜日

パラグアイ国勢調査/Censo Nacional de Población y Viviendas

国勢調査の公式サイト。過去の様々な統計も掲載
パラグアイで国勢調査が15日から始まった。
その日はちょうど月曜日で、同僚と昼を食べていたらテレビに旧式そうな青いPDA端末が写っていたので、なんだろうと思った。
http://www.dgeec.gov.py/

この国勢調査は1950年に開始され、1962年からは10年ごとに行われているとのことで、もう60年の歴史を持つ調査だ。
約1ヶ月半掛けて約6000人の調査員が、パラグアイ全土を回って調査するのだという。
この約6000人の調査員と約1000人の管理職員は、調査の間雇用される臨時雇用職員のようだ。
http://www.dgeec.gov.py/concursodgeec/

トレーナーは7月から雇用開始されていて、終了は調査員は11月末まで。最後のコンピュータ要員は12月16日までになっているから、集計は調査後半月で行い今年中には作業を終えてしまう予定のようだ。
調査の様子(同サイトから)
今年最後か来年頭くらいに発表になるんだろうか。

ちなみに給与はまちまちで、調査員の1400mil(3万円弱)からトレーナーの4000mil(8万円弱)までとなっている。
この国の最低賃金は約1660mil(2011年4月制定)と決まっているので、調査員は臨時雇用とはいえ、それを下回る金額だ。
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新聞の報道によると、ちゃんと刑務所の中や集合住宅まで一人ひとりちゃんと調査できるように調査員には充分教育を行ったとのことで、担当者は徹底ぶりを強調している。
http://www.ultimahora.com/notas/570427-Censo-Nacional-2012-llega-al-penal-de-Tacumbu
まぁその辺は実際はいい加減なことになるんだろうけど、10年に一度の意気込みを感じる。


我々のような長期滞在外国人は調査には入らないと思うが、7000人居るといわれる日本人の実態は調査されるのかな。
いずれにせよ結果が出たら、日本の国勢調査と見比べて違いを見てみたい。

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今朝の窓からの暗〜い空。調査は土日は休み
それはそうと昨日の土曜日は晴れて開港イベントが開催され、気持よく歌わせてもらったのに、夜中からトルメンタの激しい風雨が吹き荒れ、今日は朝から暗い空と雨とカミナリだ。

こちらに来た当初の下宿先は、窓にガラスの無い部屋だったのでトルメンタの時は風雨が入り込み、床が濡れ部屋全体が湿っぽくなって、書類や衣類が濡れてしまっていたのを思い出す。
田舎の方の暮らしは、まだまだあんな感じのところが多いのだろう。
今回の国勢調査では、そんな暮らしぶりも明らかになるんだろうか。

2012年10月15日月曜日

15歳の誕生式/Fiesta de 15 años

入口で本人がお出迎え。来客全員と写真を撮る
女子の15歳の誕生日を祝うイベントに土曜の夜、初めて招待された。
2年間いてチャンスが無かったので喜んだ。

話しには聞いていたが、ちゃんとこれまでの人生を紹介するビデオや司会者の進行もあって、まるで結婚式のように盛大だった。
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会場は、本人の家に近い郊外のパーティーハウス。
カラフルなライトで、建物が浮かび上がっていた。
父親に連れられて新婦・・じゃない15歳女子入場!


入口では本人がまるで金屏風のような飾り付けの前で、家族と共に来訪者をお出迎え。
両頬にキスをして、お祝いの言葉と共にその場でプレゼントを渡す。
プレゼントは、そのまま後ろの透明なプレゼントボックスに入れられたが、まだ少ない。
というのも我々は指定の午後9時より30分ほど遅れて行ったのだが、それでも早く付き過ぎてまだ1割程度の入りだった。
お約束のパラグアイ時間だ。

席に付くとウエイターがやってきて、飲み物は何がいいかと言う。
真っ赤なバラが舞う中、お父さんとワルツを踊る。
我々はビールを選んだが、やってきたのはクーラーに入ったバドワイザーの1リットル瓶。
てっきりBrahmaかPilsenだと思っていたので、少し驚く。

ゆっくりと飲んでいたが、ビールを2本空けてしまったところで同席の人達が来て、そろそろ始まる気配。
同年齢くらいのタキシード姿の青年達が両脇に立つ道を本人が父親と入場して来て、式が始まった。

式はワルツがかかるダンスパーティーから始まった。
父親が白いバラを持ち、娘に渡して最初に踊った。
そして家族が踊り、友人が踊り、青年達が赤いバラを渡し次々に入れ替わり立ち代わり踊る。

ダンスの順番を待つ青年達。赤いバラを持っている
これらの客が来た時からのずっと一連の流れをプロのビデオとスチールカメラ班が追い、会場に据えられた大音量スピーカーと大スクリーンから逐一実況中継していた。

ワルツ・ダンスの後は本人の15年間を編集したビデオが流された。
その後、家族と友人達からのメッセージビデオも流され、続いて着飾った本人が各テーブルを回るという、まるで日本の結婚式のような流れになって来た。
簡単な食事も出され、ケーキカットがあり、飾られていたお菓子や果物が振る舞われ、みな酔いも回ってしゃべり疲れて来た頃、ふと時間を見ると午前1時。

最後はディスコテカ状態で延々と続く
式は、その後若者だけの踊りへと変り、果てしなく続いていく様子になって来たので、我々はそこで会場を去った。

帰って来たら眠くて眠くてすぐ寝てしまった。
次の日、つまり今日はすっかり二日酔いで気分が悪く、家から一歩も出ず料理などして過ごした。
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しかし、パラグアイだけでなく、南米中にこうした15歳を祝って盛大なパーティーを催す習慣があるらしいが、どこから来たものなんだろう。
http://www.nhk.or.jp/gogaku/euro24/experience/other.html
日本は20歳の成人式だろうし、16歳を祝う国もあるという。

その名も「ミス15歳」というサイト。簡単な解説付
そしたらこんなサイトがあった。
http://www.misquince.com.mx/tu-fiesta/fiesta-de-15-anos/212-fiesta-de-xv-anos-historia-y-significado

スペイン語でよく分からんが、どうやらマヤやアステカ文明のころに女性が成人を15歳で迎えて結婚のために家を出るため、盛大にパーティーを行ったという史実に起源があるようだ。
それとヨーロッパの貴族文化が融合して、今のようなワルツを踊る形で定着していったらしい。
だから結婚式みたいなんだな。

日本でこんな習慣ができたら大変だ。
それでなくても親は金がかかるのに、15歳というややこしい年齢に盛大に結婚式のようなパーティーをやるなんて信じられない。
しかも、今回は中ぐらいと言うんだから、大きいパーティーっていったい・・。

でもカラフルにデコレーションされた会場を見ているとマンガの世界のようで、面白い経験をさせてもらった。

2012年10月8日月曜日

夏時間が始まった/Horario Verano ha empezado

パラグアイは日本とちょうど夜昼逆になりました。

パラグアイ時間で10月の第一日曜日である7日0時から、夏時間が始まった。

これでパラグアイは日本とちょうど12時間遅れになって、計算がしやすくなった。
前に経度で計算したら13時間遅れだったので、夏時間は1時間早めたイレギュラーな時間ということになる。

パソコンの時計も、世界時計のサイトも自動的にちゃんと0時ちょうどに1時間進めてくれた。
http://24timezones.com/
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このサマータイム制については、日本でも実験したことがあったが、日本では・・特にサービス残業が常態化している民間の会社では、単に就業時間が長くなるだけで公務員以外にメリットはまったく理解されず定着しなかったと記憶している。

しかし、パラグアイではもともと学校などは朝7時と早い始業なので、夏時間が来ることは朝弱い人にとっては本当につらいと思うが、学生も先生も社会も何の障害もなくスムーズに対応しているように見える。

最近の太陽の動きを見ていると、朝早くからまぶしくなって来ていたので、自然に生きている人達には理にかなった方法だと言える。
夏時間をスムーズに受け入れているパラグアイ人の方が、日本よりより自然に生きてるってことか。
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初表彰台の可夢偉(時事ドットコム
ボクの夏時間スタートの今日は、バタバタしていた日だった。

土曜の夜遅くまで飲んでいたので朝遅めに起き、8時過ぎの朝食のあとシャワーなどを浴びて出掛ける準備をしていた。

なにげなく歯を磨きながらテレビを付けると、F1日本グランプリの録画放送が流れていて、結果を知らなかったボクは小林加夢偉の鈴鹿での走りに釘付けになった。
3位入賞を見届けて声を上げて喜んだ後、急いでバスに飛び乗った。

そのあとは日本人学校の敬老会でマンディオカスで少し歌い、ワインとビールをいただく。
少し物足りなかったので、そのまま街のボデガでビールをさらに飲んだ。

歌を歌いながらビールを飲んでいたら、隣に住む人が歌のお礼にとソパをごちそうしてくれたが、これがチーズたっぷりで、表面がカリッと焼けて中はきめ細かく、本当に美味しかった。
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日本人初の2勝・錦織(スポニチ
汗をたっぷりかいて部屋に帰って来て、シャワーをまず浴びようと考えていたのにアルコールのせいでそのままソファーですっかり寝込んでしまった。
かなりの時間経過を感じたので、あわてて起きて洗濯とシャワー。

その間、日本のテレビではサッカーの海外で活躍する香川や本田などといった日本人選手の活躍を伝え、テニスの錦織圭選手がツアー2勝の日本人初の快挙を成し遂げたと報じていた。

今日は日本人がよく活躍した日だったらしい。

でも時間帯が日本と違うせいか、テレビでは可夢偉表彰台のニュースはまったく見られず、錦織選手ばかりだった・・。
なんで?同日のはずなのに・・。
F1は昼間で、テニスは夜で、錦織のほうが最新ニュースだったからかな?

そうこうしているうちに、すぐに夜の7時になって、あわてて行く予定の世界アルパフェスティバルのため市立劇場へ向かおうとしたが、眠り過ぎとアルコールで体がしんどく中止にした。
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メッシもロナウドも2ゴール(UEFA.COM)
そのあとテレビは疲れるのでネットを見ていたら、今日はバルセロナとレアルマドリッドのクラシコ試合が行われていたようで、時間的に見ようとしたら見れたなぁと引き分けの結果を見ながら思った。

夜には夕食をお呼ばれに近くのお宅に。
ソーメンを久しぶりにいただいて、美味しかった。

そんな夏時間の始まったアスンシオンの1日。

2012年10月6日土曜日

再び目医者へ行った/Recibí la consulta de la oftalmóloga una vez más

合気道の目つぶしを受けた眼の状態が治らなくて、飛蚊症のひどいのとたまに眼の端にぴかっと出る光が気になるので、再び眼科へ行った。

前回の目薬。「2週間」と書いてある
受付で前回のように待っている間に眼底検査のための目薬を先に差してくれと頼んだが、受付のおばちゃんは、意味が分からなかったのか「すぐに」というだけでやってくれない。
結局、先生に呼ばれてしまった。

中に入ると、まず視力と眼圧を計る。
痛めた右目の視力が、少し落ちているようだ。
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それだけで一度受診を終えて診察室を出て、受付に戻り、やはり眼底検査のために瞳孔を開く目薬を差してもらう。

待っている間に雑誌でフォルクスワーゲン・ビートルで世界一周をしているオーストラリアの若者が、パラグアイに立ち寄ったなどと書かれた記事を読む。
いやスペイン語がよく分からんので、見るに近いか・・。
Domiさん。だいたい雑誌のイメージ
http://herbiesworldtour.com/

ディズニー映画と同じようにペイントしたビートルの横で微笑む飄々とした男女2人の写真が載っているが、ボクらとは見える世界が違っているんだろうか。
しかし、世界観が違う人間が共存しているのは面白い。

同じサイトには、プロフィールにいきなり魅力的な女性の写真が載っているが、かなり雑誌とイメージが違う・・。
Zainabさん。雑誌ではふっつ〜の女の子だったけど・・
http://herbiesworldtour.com/about-us/
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何人かの受診の後、再び日本語で名前を呼ばれ、診察室に入る。
そのころには瞳孔がかなり開いたらしく、光がまぶしく照明の周りに輪ができて見えていた。

明かりを暗くして今度は眼底を丁寧に見てもらう。
何度も何度も、言われるまま目玉をくるくるする。

結果、「網膜は大丈夫ですね」と明るく言われた。
「影が消えないし、状態が変わらないんですが・・治るんでしょうか?」と聞いてみたら、「少しは薄まるかもしれませんが・・」という返事。
硝子体剥離は老化でも起こるらしく、それが今回の強い衝撃を受けたことで、早まったあるいは派手になっただけのことらしい。

ひゃー治らないのか!
まぁ失明することは無いというので、慣れるしかないってことだな・・。
実際に目薬ももらえなかった(;_;)

しかし念のため、日本に帰ったらもう一度見てもらおう。
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領収書。項目名が「医師への謝礼金」って・・
診察室を少し意気消沈して出たら、受付で請求書を出される。
120mil(約2400円)?
前は目薬もらって100milGsだったんだが、今度は診察だけで120mil?

てっきり100milだと思っていたので、手元には惜しくも115milしかなくて、受付に待ってもらって銀行へおろしに行くハメになってしまった。
暑い・・。

二度手間になったのが悔しいので、そのままスーパーへ買い物に行き、カレーの材料を買う。
師匠の置き土産のカレールーを使って、美味しいカレーを作りたかったからだ。
辛いけど美味しかった・・食べ過ぎた。

2012年10月2日火曜日

いただきます/Vamos a comer, Gracias a dios.

建築家の先生の家で歓迎パーティー
日本人の同僚の歓迎会があった。
手巻き寿司を作ったら喜ばれた。
具はウインナーやらチーズだけれど。

余った「わさび」は、同僚にあげて喜ばれた。
しかし家には無くなって、お茶漬けが寂しくなった(¡_¡)。
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さて、以前食べる時に「いただきます」と言っていたら、同僚にそれはどういう意味だと聞かれた。

それでボクは「日本には八百万の神がいるから、それぞれの食べ物にも神様がいて、それを食べるについて、神様に感謝を伝える言葉だ」と答えた。
メインはパエリア。手前にあるのがパラグアイ・ソパ
どこかで調べた訳ではないが、おそらくなんとなくそうだろうと思っていたからだ。
ーーーーー
そして今回も他の人に聞かれた。
そしたら日本人同僚が、「料理人への感謝の言葉だ」とシンプルに答えた。

それを聞いてボクの同僚が、以前のボクの説明と違うじゃないかと言った。
ボクは習慣になっていていろんな意味が込められているから、人それぞれ解釈が違うんだと答えた。
でも、やはり昔から使われて来た言葉だから、きっと神への感謝の気持が込められているはずだと思った。
ーーーーー
語源由来辞典の「いただきます」
Googleで調べた。

そしたら語源由来辞典というのが出て来た。
http://gogen-allguide.com/i/itadakimasu.html

これによると、本来は頭の頂(いただき)に乗せる意味で使っていたようだ。
位の高い人からものをもらう際に頭に乗せたことから、モノをもらうことを「いただく」と言い始め、目上の人や神仏へのお供え物を食べる際にも「いただく」と使い始めたことから、飲食の際に「いただきます」と言うようになったのだという。

少し神がからんでいた。
語源としては作った人への感謝の言葉というより、食べ物を授かると言ったニュアンスが強そうだ。
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同じく語源由来辞典の「ごちそうさま」
ついでに「ごちそうさま」も調べた。
http://gogen-allguide.com/ko/gochisou.html
「馳走」は食材を求めて馬を走らせたことから来ている「もてなし」の意味で、それを讃えるように「ご馳走様でした」と言うのだと言う。
こちらは、まさに作ってくれた人への感謝の意味だった。

なんとなく腑に落ちる。
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他にも同僚に、よくボクが使う日本語の意味や由来を聞かれる。
しかし、普段は意味を考えず習慣として使っているから、困ってしまう。

いつも自分の解釈で答えるが、日本を出るときはよく使う言葉の語源ぐらい知っていた方がいいと思った。
ボクは逆によくグアラニー語のことわざの意味を聞いているが、言葉からはその国の精神世界が垣間見えるので、お互いに興味深いようだ。

聞いた中から、今回の料理に関係する知識をひとつ。
パラグアイでは、スープの事を他のスペイン語圏のように「ソパ」と言えない(Caldoを使う)。
「ソパ」はパラグアイではトウモロコシ粉とチーズとタマネギなどをこねて焼いた料理を指すからだ。

マンゴの日陰から暑くてたまらん通りを見る
これは、三国戦争の時に戦場で肉が無くなり急ごしらえで作った料理が基本で、マリスカル・ロペスに「これは何の料理だ?」と聞かれた料理人が「ソオ・オパ(グアラニー語で肉が無くなったという意味)」と答えたのが始まりという。
ーーーーー
数日前には春が始まってから暑くなったり寒くなったりなので、ボクが「三寒四温だな」とつぶやいたのを聞かれ、説明した。
パラグアイは「三寒四暑」だと言って笑った。

それにしても今日は暑かった。
アスンシオンはヒートアイランド現象でよけい暑い。
きっと40℃いったんじゃないかな?

日陰のうれしい季節です。

◎メモ:10月1日はKarai Octubreの日でJoparaを食べなきゃ不幸が来るという迷信があるので食べた。その翌日10月2日はアイスクリームの日とかで、どこやらのアイスクリーム屋が1,700個をタダで配るというので、行こうとしたが行きそこねた。でも長蛇の列で警察まで出ていたようだから行かなくて良かった。いろんな日があるもんだ。