2011年3月22日火曜日

大震災

こちらの時刻では11日未明に起こった大震災ですが、すでに10日が経過してさすがにトップ記事では無くなりましたが、まだまだ報道され続けています。
現在のもっぱらの関心事はやはり原発事故で、日々詳細に報道されています。
風に乗って飛来しそうなアメリカや、原発を多く抱える欧州諸国よりは心配は少ないでしょうが、それでもやはり完全に対岸の火事とも言い切れず、日本からの援助をたくさん受けているのもあって、少なからず不安を持って注目しているようです。

会う人会う人、日本人だというと「あなたの家族は大丈夫だったのか?友達はどうだ?」などと心配してくれ、多くの方が亡くなっていることを悲しんでくれます。
何をしてくれる訳でも無いのですが、そうして話題を振ってくれるので、日本人として感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、その後「放射能は大丈夫なのか?」「原発はもう沈静化したのか?」などと聞かれます。
「チェルノブイリ以上じゃないのか?」などと言う人もいますが、「そこまでひどく無い」と言っても、「これからひどくなってくるんじゃないの」などと突っ込まれることもあり、正確に未来の情報を持っていないので、完全に否定できないのがつらいところです。

ほんの昨日まで、ヘリコプターや放水車の頼り無さげな冷却の様子が流れ、もう最後のやけくそな状態だなあ・・などとえらく心配になっていましたが、このところのニュースでは電源が確保できて、冷却ができる見通しなどと報道されているので、少しは沈静化に向かうのかなと安堵。しかし、逆に野菜やミルク、水道水の汚染が報道されるのを見ているとまたまた先行き不安に・・・。

原発の未来はどこへ行くのでしょう?
静かに一台、また一台と引退して行って、省エネがさらに進んで日本は、自然エネルギーだけで生きて行ける国に変質して行くんでしょうか?
そうしたいものです。

2011年3月16日水曜日

同僚のことも少し

「ブログ見てると遊びに行ってるようにしか見えないが・・」と言われたので、仕事のことを。
いや、仕事はまだ確かにちゃんとできてると自分でも手応えが無いので、まずは職場のことを。
職場というと、やっぱり同僚のことを書かざるを得ない。

職場は工業高校併設の職業訓練校で、パラグアイの首都アスンシオン郊外にある。
周りは会社向けの卸屋さんや、お店、他の学校に囲まれていて、表通りから1本裏に入った静かな場所。
しかし、学校の横には産業ゴミが日常的に捨てられていて、近くの建築系会社のトラックの駐車場にもなっていて、塀には落書きも多くあまりきれいな所とは思えない。
緑も多いのにもったいない。

でも、学校の中にいると緑豊かなキャンパスでとても落ち着く。
日本の援助でできた学校で、設計も日本人だと聞いて、それで感性が同じだから落ち着くのかな、と勝手に納得する。

同僚は40代の主任の先生と、29歳の先生の2人。
いつも冗談ばかり言い合っていて、本音が見えにくいけれど、悪い人たちではない。
いや、いい人たちです。

主任の先生(エスコバルさん)は、学校や役所が併設の高校ばかり大事にすることをいつも苦々しく思っていて、職業訓練校の自分たちの生徒のために校長と掛け合ったりしている熱血漢だ。
自分でも印刷会社を経営しているらしく、仕事の話をよくしている。
公私混同はこの国の文化のようで、税関員が貿易の仕事で稼いでいるなんていう話も聞くくらいだ。
むしろ公務員の方がよく副業を持っているらしい。

それから、授業料はタダだけど教材は生徒が買うというのが基本のようで、あまり学校には資金が無い。
よく授業中に生徒も巻き込んで仕事をして納品したりしているので、生徒の教材購入のためにやっているんだと思っている。

僕は今のところ、生徒に直接教える訳でもなく、後方支援的に、故障した機械の修理をメーカーに聞きながらやったり、見ていて疑問に思うところを聞いたり、不足に思うものを買ったり、デザインものがあれば手伝ったり、雑用係みたいな立場に甘んじている。

コンペの開催や雑誌の取材編集、観光絵はがきの作成、先進企業の見学レポート作成など、いろいろ言っていても、カリキュラムがすでにしっかり組まれていて、時間も無く、なかなか・・・。
提案を実現するべく、取材用のカメラを買ったりソフトウェアを入れたりしているが、使える日が来るのかどうだか分からない。

今日もデザイン会社や大手の印刷屋が見たいと言ったら、生徒と一緒に冬休み開けの8月ころ見学するから待ってくれという。でも今思えば、夏休み前にも似たようなことを聞いたような・・・。

そんな風にいつもうまくはぐらかされているようで、なかなかたいへんだ。
だから調整員というJICAの人たちと相談しながら、悩みながら、なんとかやっている。




















写真は今期の生徒達(教室の裏庭で)


もう一方の若い方の先生(スリンさん)は、エスコバルさんの片腕として活躍している感じだ。
陽気な人で、一緒に居ると冗談ばかり言っていて飽きない。
でも悪い冗談と、グアラニー語を教えて喜んでいるのが困りものだが。

そして2人ともいつも9時前後に軽食を取ってマテ茶の冷たい版であるテレレを飲み、音楽をしょっちゅう掛けて踊りながら仕事している。
奇声を発するのも得意で、自分たちだけ分かるジョークをよく言い合っている。
「ジョージョーカ」もその一つで「OK」の意味らしい。
他にも犬やカエルや毒蛇の肉を食べる話や、比喩めいたジョークが多いが、グアラニー語が多いので、聞いてもよく分からない。

まぁでも楽しい職場の方だろう。

そして我々を後方支援してくれているJICAに関しては書類さえ揃っていれば、ごちゃごちゃ言わないでいろいろ支援してくれているのでありがたいが、仕事を100%バリバリやっている実感がこちらにまだ無く、なんとなく申し訳ない気もする。

でもまぁこのパラグアイでの我々への支給金額はほんの涙金。周辺諸国と比べてもダントツに低い。
だからと言う訳でもないが、ぼちぼちやろうとも思っている。
言葉も充分に通じない不自由な海外暮らしなのでウツ病になっても困るし・・・。

でも本音を言うと逆に少しでも給料をまともにくれて、みんながやる気になって、仕事しないヤツは振り落とすされるくらいのことをしてくれれば、もっと緊張感が出ていい仕事をみんなすると思うなぁ。
実績のある人が多いんだから。

ありゃ、なんだか変な感想文みたいになってしまったけど、そんな日々です。

2011年3月13日日曜日

史上最大の地震

大震災を報じる海外向けの日本のテレビ

こちらの時間で2011年3月11日未明の午前2時50分、日本時間では午後2時50分におきた未曾有の大地震は、東日本大震災と名付けられマグニチュードは8.8(後に9.0に修正される)で、記録史上最高だという。
1000年に一度だとか。

朝食を食べていたらニュースでやっていたので分かったのだが、最初はその数日前に起きた地震と勘違いして、「たいしたことない」と思っていた。

それがこんな惨事になろうとは!

今日の土曜日、一日部屋に居て地震報道を見ていて、だんだん入って来る情報に、とても辛い気持ちになった。
それと同時にだんだん昨日の自分の行動を猛省していた。

被災家族である同期の娘が、自分の家が流されてご両親やおばあさんが亡くなったかもしれないという不安に苛まれている時に、僕は陽気に友人と横でギターを弾いていたからだ。
あんまり一緒に悲しみに沈むとよけいダメかなと思っていた。
「助かっているかもしれない」という、前向きな気持ちを伝えたかったからだ。
(後に家もご両親も無事なことを伝え聞きました。良かった)
あまりニュースをちゃんと見ていなかったので、今日分かったような、あんな悲惨な状況だとはつゆ知らず・・間違った方法だ。
ーーーーー
テレビを消したあとは、夕方のアスンシオンの町を見ながら、世界のことを思った。
阪神淡路大震災の180倍という規模は明らかに地球規模だ。
アフリカでもアジアでもここ南米でも、今回の地震の影響はある。

アフリカで民主化運動が巻き起こっていたり、ストリートチルドレンが据えた目で金をねだったり飢えて死んで行くことなどとは一切関係なく、容赦なく、4,600,000,000歳という水の惑星・地球は表面の断層をますます大きくずらせて、まるで人々をその球面から振り落とすように、地震や津波を巻き起こして大被害をもたらす。

・・・小さな小さなせいぜい100年しか生きられない人間達。

地球システムの中でどんな役割ができていると言うんだろう?
なぜ、表層の薄い大気に守られた運命共同体が、大気を汚し、戦争を巻き起こしながらも存在しているんだろう?
ーーーーー
そして僕はなぜここにいるんだろう?
日本に帰れば、どこで何のために何をして暮らすのが一番いいんだろう?
それは地球から見たらどんな風に見えるんだろう?

美しい月や星のある宇宙のことも考えるなら、13,000,000,000年分の意識がそこにある。
そして、こんなにはかない命なのに、ちゃんと愛する人がいて、苦しみ、悲しみ、幸せな時間がある。
ーーーーー
アスンシオンにはあと1年半居ることになるが、その間に答えを見い出せるだろうか。
・・・・変な日記になってしまったな。

福島原発の被災と建屋の爆発を報じるテレビ。












テレビを見終わって眺めた窓からのアスンシオン市内の景色。