2011年12月31日土曜日

さようなら2011/Chao! Bicentenario 2011

2011年が終わります。
なんだか悲しい気分になる。
2012年に向かって行くぞ!

写真は湖美術館(Centro Cultural del Lago)にあった人形。

今、パラグアイなのに石川さゆりさんがテレビで歌ってます。

2011年12月28日水曜日

ネコ貯金箱/Hucha Forma Gato

学校が夏休みに入り生徒が来なくなったので、木工クラスに行ってネコ貯金箱を作った。

初めて作った割にはよくできたと思ったが、よく考えてみたらボクが機械を扱い慣れて無いので、Miguel先生が要所を締めてくれたので、こんなにうまくできたんだと今は分かる。

さて、この貯金箱、顔の部分は2種類の木を使い分けて貼り合わせ、塗りでは無く質感でかわいい顔にした。
塗料は一切使っていないから、質が劣化するかもしれないけれど、この木の感触が好きだ。

シッポは可動式になっていて、左右に振る事ができる。
中に重りが入れてあるので、下に垂れる事は無く、いつも上を向いている。




うしろ姿がかわいいのはネコの特徴だが、この貯金箱もこのシッポのおかげでなかなか可愛い。











コインを入れる穴の板ははめ込み式にしてあるので、外してコインを取り出す事もできるが、きっちりはまっているので、普段は全く見えない。

よくできてるなぁ。
いっぱい作って売りたいくらいだ。
Miguel先生ありがとう。

※ささやかなお礼にビールを贈ったが、居ない時に机の上に置いておいたので、受け取ってくれたかなぁ。


2011年12月19日月曜日

卒業式を終えて/Después de la ceremonia de graduación

Artes Gáficasの生徒が代表してスピーチ
勤務先の学校の卒業式が終わりました。
なぜか習慣で夜行われるのですが、照明が栄えてなかなか盛り上がります。
Artes Gráficasの生徒のスピーチも、ボクには内容がよく分かりませんが、感動ものでした。

ボクのデザインしたモニュメントも華やかに紹介してもらえ、なかなか注目を集めて、学生達の記念撮影スポット化しているのを見ていると、嬉しくなってしまいました。
モニュメントは記念撮影スポットに
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その後、年末ということもあって最後のPuerto Abiertoに行ったり、同僚や友人とのまぁ忘年会みたいなものがあったりと忙しく過ごしましたが、いよいよ夏休みに突入です。

でもゆっくりしているヒマは無く、師走だけあって何もかもがバタバタと忙しい感じです。
中途半端なままになっていることを片付けたり、業務費の精算をしたり、いろんな人に連絡したりなど、したいことしなければならないことも多いのですが、なかなかできないまま今日を迎えています。
ボクらの生徒の一人が旗手に
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さらに!
それと相前後して住む部屋が「ダニ」に襲われ、体中痒くなってブツブツができて、あまりにもひどくなったので、忙しい合間を縫って医者に行ったり、部屋を殺虫剤で消毒して、一時的に引っ越したりと目の回る日々でした。

さらにさらに!
急にキャッシュカードまで使えなくなり、焦って銀行に電話したらカードは問題無いと言われ、またATMに行ったらやっぱり使えなかったり、追い打ちのように問題が起こって今もまだ使えず、不便をしています。

開会前の夕方(といっても7時ころ)の風景
さらにさらにさらに!
すぐに娘がパラグアイに来るので、サンパウロまで迎えに行く予定だし、ダニ問題を片付けなければならないし、全然時間がありません。
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ということで、このブログも書いてるヒマがありません。
今日はここまでで失礼します。

2011年12月13日火曜日

開港イベント/Puerto Abierto de Asunción

アスンシオン港の開放イベント。まだ早い時間
アスンシオンの港はセントロの川沿いにあり、かつてはたいへん賑わったそうだ。

今は車と飛行機が主なのであまり賑わいは無く、河の観光船と他岸へ渡る船の駅の役割を残しているだけだ。
その観光船もあまり使われていないようで、港に行けばいつも係留されている。

その港で、開港イベントが毎週土曜に開かれているという情報を聞き付け、数週間前から毎週行っていた。

手作りの食品、服飾、絵画、アクセサリー、開運グッズ屋まで、10数店舗が屋台を連ねて、ライブも開かれている。
ヨガ教室も開かれていたことがあった。

港は夕景が美しい
ふふふ、そしてそのライブが参加自由なのだ。
だから度胸試しにと、僕たちも参加し続けている。

あ、それから最近全然見かけなかった路上アルテサニアのイルー達に会えるという、楽しみもある。
聞けば主な拠点にしていた、最も観光客などが多くてにぎやかなパロマ通りを、警察なんかに追い出されてあちこちをさまよっているらしい。
おまけに、夏が来てまだ1歳の息子であるルーカスのために暑さを避けなければいけないので、路上もキツくなって来ているのだ。

この港の建物は涼しいし、好都合だ。
そのせいか先週はすいぶん路上アルテサニアが増えていた。
先々週もその前も5人位だったのに、8〜9組もいた。
来週は最終日だから、もっと増えるだろう。

自由参加の音楽ライブ。この日は客がまばら
そして僕たちのライブ場所も、もうなくなる。
また来年までさようならだ。


この場所ではいろんな出会いもあった。
イルーはもちろん、音楽仲間も数人できたし、先週は合気道一家のロベルトさんと知り合って愉快な「満月パーティ」にも招かれた。




パロマ通りで歌ってたら若者が仲間入り
最終日もどんな人と会えるか楽しみだ。
もっと早く知っていたら、もっと大勢の方々と知り合えてたのになぁと思うと残念でならないけれど、残りの時間を大事に過ごしたいと思う。

2011年12月8日木曜日

カアクペの日/Dia de Virgen de Caacupé

一面でカアクペへの行列を伝える新聞
今日、12月8日はパラグアイでは「カアクペの日」です。
ボクはおかげで学校が休みです。
もっとも小学校なんかはもう休みに入っているので、明日も来週も行くのはこちらでは学校としてはイレギュラーなのかもしれません。

パラグアイ全土から信仰深い人々が集まりますが、なんと何日も掛けて歩いて来る人々も多いのは驚きです。

アスンシオンでも、昨日から教会のあるカアクペ市目指して約55kmという距離を巡礼のため歩いて行く長蛇の列が続きました。
ボクも誘われたのですが、坂道が予想以上にきついし、人が多くて止めた方がいいという人もいて、「宗教儀式だからなー」と行くのを止めました。

中でも大きく報じています。
そして、テレビを付けたら、朝早くから(きっと7時台から)カトリコらしい厳かなセレモニーが始まりました。
ただ、音楽やコーラスが多く、ポコポコとタイコのリズムが聞こえるのは、南米らしい感じです。
テレビの地元局は、朝はどのチャンネルもその模様を放送していました。

新聞もカアクペ一色です。
明日の朝刊は式典の様子が載るでしょうが、今日の新聞は昨日から始まった巡礼の行列や、式典の準備の様子が紹介されていました。
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 そして、今日から日本ではFIFAのクラブ・ワールドカップが始まり、ここパラグアイでもテレビの「FOX SPORTS」チャンネルで、開催国・日本代表の柏レイソルと、オセアニア代表のオークランドシティの試合が放映されています。
しかし、当たり前ですが、会場が日本で日本語の看板がバックにあるのに、スペイン語での放送なので、外国の試合を見ているようです。

14日には南米代表のブラジルのクラブチーム・サントスが日本で試合します。
サントスは、ボクがパラグアイで応援しているセロ・ポルテーニョが惜しくも破れた相手です。
妥当な結果なんですが、セロに日本に行って欲しかったと今も思います。

柏レイソル勝利の雄叫び
また15日には、あのメッシのいるスペインのバルセロナが日本でプレーします。
妥当に行けばこの2チームが少し空いた18日の決勝へ進み、日本でネイマール対メッシが観られ、世界一のクラブチームが決定するはずです。

ところで、日本での盛り上がりはどうなんだろうなぁ。
ボクは日本に居るときは、あんまりサッカーに興味が無かったので、日本での盛り上がり具合が想像できません。


そしてこれを書いてる最中に、柏レイソルが2対0で勝ちました。
前半の勝ち点を守った格好ですが、お互いにフェアプレーでいい試合でした。
オークランドシティもアウェイで慣れていない中、いいプレイを見せてくれました。

結果の表示は英語です。
柏レイソルは今年J1に昇格したばかりで優勝したJリーグ史上最初のチームということですが、その勢いでもし次勝って、さらにあのサントス戦でも勝つ事になれば、日本のサッカーのレベルアップに世界中が驚かされるでしょう。
サッカーではあり得ない話しでは無いので、少し期待して観ることにします。
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さて、今日は少し買い物に出掛けなければならないので、この辺で。
少し暑さはましですが、昨日睡眠不足なので、あまり出掛けたく無い感じだけど、家賃を降ろしに両替屋に行かなきゃない用事もあるし、がんばって行ってきます。

ではまた。

追伸
12月8日はジョン・レノンの命日でもありました。
imagenで戦争の無い世界を歌っていたけれど、それはいつごろになるんだろう。
30年くらいでなれないかな?

2011年12月4日日曜日

理不尽なコンチネンタル航空/Continental Airlines Irrazonable

コンチネンタル航空でとても理不尽な思いをしたので、その記録を書いておこうと思う。
とてもイヤな屁理屈を並べられて、苦しく腹立たしい思いをしたから。
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夜のアスンシオン空港 (Silvio Pettirossi)
ことの発端は、娘をパラグアイに呼び寄せようとしたことからだった。
費用は少し掛かるけれども、JICAにはそういう制度もあるし、娘がどうしても一度どんな所か見ておきたいと言ったからだ。

しかし、娘は15歳といっても幼さが残るほうで、海外どころか国内も一人旅などしたことがない。
しかもなにか困ったことがあると何も考えられなくなり、泣き出してパニックになるタイプだ。
だから、「どうしても行きたい」と言われて戸惑った。

いろいろな手段を調べながら手配に入り、欧州周りならアメリカよりもトランジットが楽だと聞いたのでかすかな望みで要望したが・・JICA指定経路はコンチネンタル航空でアメリカ・ヒューストン経由だった・・。
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その後、JICA指定の旅行会社とやりとりしたら、なんとコンチネンタル航空には「一人旅サービス」があると教えてくれた。
常に航空会社の職員が付いてくれて、送り届けてくれるサービスだ。
99ドルと有料だが、ありがたい。安全を考えれば安いものだ。

さっそく申し込みを表明したが、成田ーサンパウロ間のコンチネンタル航空区間のみの利用に限定されており、前後を迎えに行かないと利用できないと言われた。

ブラジル、サンパウロ空港 (Guarulhos)
そこで、本来JICAシニアボランティアはサンパウロにトランジット以外では行けないことになっているけれど、事情を説明して無理を言って「空港から出ない」という条件付きでJICAに認めてもらった。

喜び勇んで、すぐに「札幌〜成田」往復の母親が"送る"ためのチケット、こちらも「サンパウロ〜アスンシオン」往復の"迎え"のためのチケットを手配した。
全部で日本円で10万円以上掛かり痛かったが、サービスを受けるためには仕方が無い。

ここまで苦労して「さあ条件が整ったぞ」と、改めてサービスを申し込んだ。

ところが・・・コンチネンタル航空がダメだと言っていると旅行会社が言う。
「え?」

すべての条件を整えたし、ホームページの記載を細かく見ても何の問題も無い。
既に一人旅サービスを見越してかなり出費しているし、子供も心づもりをしている。
「今更なぜ?」

理解できないので、コンチネンタル航空の東京事務所に時差を考慮して眠い中、夜中に電話した。
すると電話に出た担当者は「利用できます」と言う。
「なんだやっぱりできるじゃないか」と一安心して、すぐに旅行会社に電話した。
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ホテルの19階から見たアスンシオン
ところがしばらくして、また「利用できません」とのメール。
すぐに電話して納得できないことを伝えると、コンチネンタルの担当者から直接電話させるというのでまた待った。

すると数日後に営業担当者から電話があり、こちらの言い分だけ聞いて、少し調べるから待ってくれという。
待たされてばかりだ・・。

ところが1週間待っても何の連絡も無いので、どうなっているのかとこちらから問い合わせたら、コンチネンタルの担当者から、待たせたことには何の詫びも無く、またただ「利用できません」のメールが入った。

「・・・?」
理由が分からないのと納得できないのとで、また電話サービスの「利用できる」と言った担当者に電話したら、今度は「利用できません」との返事。
「それはおかしい、理由を聞かせて欲しい」というと、「規則ですから」と言う。

「規則ですから」は理由にならないと言っても、ただ「規則ですから」を繰り返すばかり・・。
もし規則だとしても、どういう規則に引っ掛かるのか、いやその規則はどこに書かれているのか?
客に見えない規則を振りかざすこと自体おかしい。
それに一度肯定した責任は、どこにいったのか。

その後も営業担当者に質問を投げ掛けたが、返事をすると言った期限に返事が無かったり、出費もしているし、精神的にも参ったし、理由も示さない理不尽さ、それに期限以上に待たせたことへの謝罪の無さなど、あまりにもひどい人間としても問題ある対応に、ボクはもう泣きたくなったし、コンチネンタル航空という会社や期待した営業担当者にかなりがっかりもした。

話していて、少しはましな人のように思ったのになぁ。
ほんとにがっかりしてショックだった。
人間不信になる・・。

とにかく、散々待たしての「安全のため利用できません」などと、訳の分からない理由の書かれたメールを見て相当に落胆した。
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部屋から見たアスンシオンの朝焼
仕方無いので、コンチネンタル航空の利用をあきらめて、アメリカの空港でのアテンドサービスがあるというデルタ航空に切り替えようとしたが、今度はJICA本部がダメだと言う。
差額を払ってもダメだという。
これも理由が全く分からないが、「規則」なんだそうだ。

「あ〜また"規則"か・・」
いったい、なんのために規則はあるんだろう?
なぜ、表記していない内部だけの規則を振りかざせるのだろう?

こうした「規則」だけを振りかざす担当者には、感情も理屈を考える余裕も無いのだろうか?
いやいや組織として問題があるんだろうか?
考えない担当者を良しとして、イエスとしか言わない社員を育てているんだろうか?

サービス業には自主的な「おもてなしの心」が重要で、それが評判を良くし利益にもつながり、社員の誇りにもなることは、あのリッツカールトンで示されて有名になったのに、なんにも情報を見てないんだろうか。

内部だけを見ている会社・・上だけを見て保身だけを考えている社員・・そんな社風が目に浮かぶ。
そんな会社だとしたら、肝心の安全は大丈夫だろうかと不安になる。

ただただ残念な気持と疑問だけが残り、待たされたことで期限が迫り、すべてがキャンセル代が大量に発生する期日を迎え、キャンセルもできなくなってしまった。
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この・・なんというか・・理不尽なできごとを救う方法は無いのだろうか?
消費者センターやこういったことが専門の弁護士さんは、どんな風に考えるだろうか?

聞いてみたいが、今は残念な気分に埋もれていて放心状態で、そんな気分にもなれない。
放心状態を脱することができれば、またいろいろ動いてみよう。
今はただ、こうしてブログに書くことが精一杯です・・・。

日本の支社がおかしいのかもしれないけれど、みなさんもコンチネンタル航空の利用は気を付けて。
なにかユナイテッドとの合併騒ぎなのかどうか、杓子定規で投げやりな対応に士気が相当低下している印象を受けました。
安全だけはそんな中でもなんとか守り通してくれと、今は願うしか無い・・。