2011年4月13日水曜日

サッカーの試合

勤務先の学校でクラス対抗のサッカーの試合があった。
カメラマンのように、うちの科の学生達を撮った。

みんなサッカーがうまい。
子供の頃からずっとやってるんだろうな。
日本で言うとクラス対抗ソフトボール大会みたいなもんかな?

結果は1回戦敗退だったけど、ちゃんと点も取れたし胸を張れる内容だったと思う。


でもこんなにサッカーの好きな国民でも、やっぱり好きな子と嫌いな子がいるんだろうな。
それは当たり前のことなのに、不思議に思うというのは、外国を見る目が偏よっているからなんだろう。

人間なんてそう変わるもんじゃ無いのかもな。
それに今は情報が世界を駆け巡り、移動速度もどんどん早くなっている。
あと1000年もすれば世界中の人々が、ひとつの国のように「地球人」として暮らしてるんだろうな。

そうなれば戦争は無く、南北問題も解消されて飢える子も無く、きっと世界は平和だ。やっと。
その時代を見てみたいなぁ。

2011年3月22日火曜日

大震災

こちらの時刻では11日未明に起こった大震災ですが、すでに10日が経過してさすがにトップ記事では無くなりましたが、まだまだ報道され続けています。
現在のもっぱらの関心事はやはり原発事故で、日々詳細に報道されています。
風に乗って飛来しそうなアメリカや、原発を多く抱える欧州諸国よりは心配は少ないでしょうが、それでもやはり完全に対岸の火事とも言い切れず、日本からの援助をたくさん受けているのもあって、少なからず不安を持って注目しているようです。

会う人会う人、日本人だというと「あなたの家族は大丈夫だったのか?友達はどうだ?」などと心配してくれ、多くの方が亡くなっていることを悲しんでくれます。
何をしてくれる訳でも無いのですが、そうして話題を振ってくれるので、日本人として感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、その後「放射能は大丈夫なのか?」「原発はもう沈静化したのか?」などと聞かれます。
「チェルノブイリ以上じゃないのか?」などと言う人もいますが、「そこまでひどく無い」と言っても、「これからひどくなってくるんじゃないの」などと突っ込まれることもあり、正確に未来の情報を持っていないので、完全に否定できないのがつらいところです。

ほんの昨日まで、ヘリコプターや放水車の頼り無さげな冷却の様子が流れ、もう最後のやけくそな状態だなあ・・などとえらく心配になっていましたが、このところのニュースでは電源が確保できて、冷却ができる見通しなどと報道されているので、少しは沈静化に向かうのかなと安堵。しかし、逆に野菜やミルク、水道水の汚染が報道されるのを見ているとまたまた先行き不安に・・・。

原発の未来はどこへ行くのでしょう?
静かに一台、また一台と引退して行って、省エネがさらに進んで日本は、自然エネルギーだけで生きて行ける国に変質して行くんでしょうか?
そうしたいものです。

2011年3月16日水曜日

同僚のことも少し

「ブログ見てると遊びに行ってるようにしか見えないが・・」と言われたので、仕事のことを。
いや、仕事はまだ確かにちゃんとできてると自分でも手応えが無いので、まずは職場のことを。
職場というと、やっぱり同僚のことを書かざるを得ない。

職場は工業高校併設の職業訓練校で、パラグアイの首都アスンシオン郊外にある。
周りは会社向けの卸屋さんや、お店、他の学校に囲まれていて、表通りから1本裏に入った静かな場所。
しかし、学校の横には産業ゴミが日常的に捨てられていて、近くの建築系会社のトラックの駐車場にもなっていて、塀には落書きも多くあまりきれいな所とは思えない。
緑も多いのにもったいない。

でも、学校の中にいると緑豊かなキャンパスでとても落ち着く。
日本の援助でできた学校で、設計も日本人だと聞いて、それで感性が同じだから落ち着くのかな、と勝手に納得する。

同僚は40代の主任の先生と、29歳の先生の2人。
いつも冗談ばかり言い合っていて、本音が見えにくいけれど、悪い人たちではない。
いや、いい人たちです。

主任の先生(エスコバルさん)は、学校や役所が併設の高校ばかり大事にすることをいつも苦々しく思っていて、職業訓練校の自分たちの生徒のために校長と掛け合ったりしている熱血漢だ。
自分でも印刷会社を経営しているらしく、仕事の話をよくしている。
公私混同はこの国の文化のようで、税関員が貿易の仕事で稼いでいるなんていう話も聞くくらいだ。
むしろ公務員の方がよく副業を持っているらしい。

それから、授業料はタダだけど教材は生徒が買うというのが基本のようで、あまり学校には資金が無い。
よく授業中に生徒も巻き込んで仕事をして納品したりしているので、生徒の教材購入のためにやっているんだと思っている。

僕は今のところ、生徒に直接教える訳でもなく、後方支援的に、故障した機械の修理をメーカーに聞きながらやったり、見ていて疑問に思うところを聞いたり、不足に思うものを買ったり、デザインものがあれば手伝ったり、雑用係みたいな立場に甘んじている。

コンペの開催や雑誌の取材編集、観光絵はがきの作成、先進企業の見学レポート作成など、いろいろ言っていても、カリキュラムがすでにしっかり組まれていて、時間も無く、なかなか・・・。
提案を実現するべく、取材用のカメラを買ったりソフトウェアを入れたりしているが、使える日が来るのかどうだか分からない。

今日もデザイン会社や大手の印刷屋が見たいと言ったら、生徒と一緒に冬休み開けの8月ころ見学するから待ってくれという。でも今思えば、夏休み前にも似たようなことを聞いたような・・・。

そんな風にいつもうまくはぐらかされているようで、なかなかたいへんだ。
だから調整員というJICAの人たちと相談しながら、悩みながら、なんとかやっている。




















写真は今期の生徒達(教室の裏庭で)


もう一方の若い方の先生(スリンさん)は、エスコバルさんの片腕として活躍している感じだ。
陽気な人で、一緒に居ると冗談ばかり言っていて飽きない。
でも悪い冗談と、グアラニー語を教えて喜んでいるのが困りものだが。

そして2人ともいつも9時前後に軽食を取ってマテ茶の冷たい版であるテレレを飲み、音楽をしょっちゅう掛けて踊りながら仕事している。
奇声を発するのも得意で、自分たちだけ分かるジョークをよく言い合っている。
「ジョージョーカ」もその一つで「OK」の意味らしい。
他にも犬やカエルや毒蛇の肉を食べる話や、比喩めいたジョークが多いが、グアラニー語が多いので、聞いてもよく分からない。

まぁでも楽しい職場の方だろう。

そして我々を後方支援してくれているJICAに関しては書類さえ揃っていれば、ごちゃごちゃ言わないでいろいろ支援してくれているのでありがたいが、仕事を100%バリバリやっている実感がこちらにまだ無く、なんとなく申し訳ない気もする。

でもまぁこのパラグアイでの我々への支給金額はほんの涙金。周辺諸国と比べてもダントツに低い。
だからと言う訳でもないが、ぼちぼちやろうとも思っている。
言葉も充分に通じない不自由な海外暮らしなのでウツ病になっても困るし・・・。

でも本音を言うと逆に少しでも給料をまともにくれて、みんながやる気になって、仕事しないヤツは振り落とすされるくらいのことをしてくれれば、もっと緊張感が出ていい仕事をみんなすると思うなぁ。
実績のある人が多いんだから。

ありゃ、なんだか変な感想文みたいになってしまったけど、そんな日々です。

2011年3月13日日曜日

史上最大の地震

大震災を報じる海外向けの日本のテレビ

こちらの時間で2011年3月11日未明の午前2時50分、日本時間では午後2時50分におきた未曾有の大地震は、東日本大震災と名付けられマグニチュードは8.8(後に9.0に修正される)で、記録史上最高だという。
1000年に一度だとか。

朝食を食べていたらニュースでやっていたので分かったのだが、最初はその数日前に起きた地震と勘違いして、「たいしたことない」と思っていた。

それがこんな惨事になろうとは!

今日の土曜日、一日部屋に居て地震報道を見ていて、だんだん入って来る情報に、とても辛い気持ちになった。
それと同時にだんだん昨日の自分の行動を猛省していた。

被災家族である同期の娘が、自分の家が流されてご両親やおばあさんが亡くなったかもしれないという不安に苛まれている時に、僕は陽気に友人と横でギターを弾いていたからだ。
あんまり一緒に悲しみに沈むとよけいダメかなと思っていた。
「助かっているかもしれない」という、前向きな気持ちを伝えたかったからだ。
(後に家もご両親も無事なことを伝え聞きました。良かった)
あまりニュースをちゃんと見ていなかったので、今日分かったような、あんな悲惨な状況だとはつゆ知らず・・間違った方法だ。
ーーーーー
テレビを消したあとは、夕方のアスンシオンの町を見ながら、世界のことを思った。
阪神淡路大震災の180倍という規模は明らかに地球規模だ。
アフリカでもアジアでもここ南米でも、今回の地震の影響はある。

アフリカで民主化運動が巻き起こっていたり、ストリートチルドレンが据えた目で金をねだったり飢えて死んで行くことなどとは一切関係なく、容赦なく、4,600,000,000歳という水の惑星・地球は表面の断層をますます大きくずらせて、まるで人々をその球面から振り落とすように、地震や津波を巻き起こして大被害をもたらす。

・・・小さな小さなせいぜい100年しか生きられない人間達。

地球システムの中でどんな役割ができていると言うんだろう?
なぜ、表層の薄い大気に守られた運命共同体が、大気を汚し、戦争を巻き起こしながらも存在しているんだろう?
ーーーーー
そして僕はなぜここにいるんだろう?
日本に帰れば、どこで何のために何をして暮らすのが一番いいんだろう?
それは地球から見たらどんな風に見えるんだろう?

美しい月や星のある宇宙のことも考えるなら、13,000,000,000年分の意識がそこにある。
そして、こんなにはかない命なのに、ちゃんと愛する人がいて、苦しみ、悲しみ、幸せな時間がある。
ーーーーー
アスンシオンにはあと1年半居ることになるが、その間に答えを見い出せるだろうか。
・・・・変な日記になってしまったな。

福島原発の被災と建屋の爆発を報じるテレビ。












テレビを見終わって眺めた窓からのアスンシオン市内の景色。

2011年2月14日月曜日

グーグルの背景画像を変えてみた

長く見慣れて気に入っているシンプルなGoogleの画面。
折に触れその時々のテーマで変化してくれるし面白い。

いつか忘れたけど、実際に遊べるパックマンのゲームがタイトルだったのは面白かった。
思わず遊んでしまった。

なのに、ふと左下を見ると「背景画像の変更」という文字リンクが・・。
思わず札幌で飼ってるネコの画像に変えてしまった。
自分のアイコンにも使ってるネコだ。

シンプルさを損ないたく無いので、バックは白。
全身の入った写真をAdobe Photoshopでくり抜いた。




・・・割と可愛い。
飽きるまでしばらくこれで行こう。

2011年2月9日水曜日

ハートのトマト

昨日の夕方、トマトを2つもらった。
メルカド・クワトロでたくさん買ったのでと、お裾分けいただいた。
さっそく1個を切って塩を振り、カレーライスのお供に食べた。

もう1個を冷蔵庫に入れておいたが、今日見たらハートに見える。
さっそくカメラを出して撮った。

冷たいトマトが、ハートだと思うとあったかく見えるから不思議だ。

2011年2月2日水曜日

パタゴニアに行って来た

学校ということろは夏休みがあって、来てまだ3ヶ月では少し早い気もしたが、アルゼンチンに行くことにした。

首都のブエノスアイレスに長野でお世話になり親しくなったカビの専門家の方がいるのと、パタゴニアにやはり長野で友人となった人が家具を作っていて1年で日本に帰ってしまうので、会うのは今しか無いと考えたからだ。
一人で行こうとしたけれど、一緒に行きたいという人もいて、いろいろチェンジがあって最後に3人の旅になった。

まず、ブエノスアイレス。すごい大都会で、もうこれは外国!というインパクトでいっぱいだった。
中心街にお住まいなのに、職場が近いということだが、わざわさ友人、いやボスに空港までお出迎えいただいて大変感謝した。なんていい人なんだろうか!
再会はいつも嬉しい。空港でボスの顔を見た時はとてもとても嬉しかった(涙)!
アパートに着くと、今度は素敵なボスの奥様が多彩な、パラグアイでは絶対に食べられないとても美味しい世界の料理で歓待してくれた。料理研究家もびっくりだ。
それにまたアルゼンチン製の美味しいビールと高そうなワインを飲ませていただいて、あまり美味しいのでがっついていたら、メイン料理の分厚いステーキの手前でお腹がいっぱいになり、眠くなってしまった。それだけがとても残念だったが、大大満足だった。
そして大大感謝です。ボスそして奥様、このブログを見ることは無いでしょうが、ありがとうございます!

写真はブエノスアイレスの国会議事堂。
これには「あっ!」と声を上げた。
素晴らしい歴史的な建造物だ。
ほんとにブエノスアイレスには文化を感じる。
ヨーロッパには行ったことが無いけれど、きっとヨーロッパもこんな建造物があるんだろうな。
ブエノスアイレスには美術館もあって、ロダンの彫刻群に始まってセザンスやモネ、ルノアール、ミレーやコロー、ゴーギャン、モディリアーニ、シャガール、ピカソ・・・等々、世界の有名どころがずらっと勢揃いしていて、入場料が無料!驚いた!「どんだけ金があってん!?」と突っ込みたくなったくらいすごかった。

それからお世話になったCallao通りに別れを告げ、パタゴニアのエスケルまでバスで27時間(!)掛けて行き、家具職人いや家具アーティストの友人と再会!
美味しいワインと、ステーキとチョリソで歓待してくれた。美味しかった。
久々の再開も嬉しくて、南十字星もくっきりと見ることができた!
翌日、職場を見学させてもらい、われわれは4人でカラファテ目指してバスで向かった。24時間の旅だ。


写真はエスケルのバスターミナルで洗濯物を乾かしているところ。
洗濯機を借りて洗濯したのはいーんだけど、間に合わず、絞ると水がジャーと出るような状態で出発したのじゃー。

バスは2時間近く遅れて来てくれたので、パタゴニアの強い風と太陽のおかげで、なんとかちょっと湿った程度まで乾いてくれた。

カラファテは氷河のある街で、お土産屋さんやレストランなどのお店もいっぱいある可愛い街だった。

氷河は大迫力だったが、頻繁に虹がかかり、さらにその雰囲気を盛り上げてくれていた。
たまに氷河の崩れる「ドドーン!」という音が聞こえていたが、大規模なものではカミナリのようなすごい音がするという。
氷河の上を歩くツアーもあるらしい。今度もし行くことがあったらぜひ歩いてみたいものだ。

カラファテには2泊して、ウシュアイアに飛行機で飛んだ。ここはチリの国境を通るので我々は禁止されており、バスでは行けない区間だからだ。

ウシュアイアは世界最南端の街だ!
「FIN DEL MUND」の看板が誇らしげだった。

宿泊は2泊とも、町外れにある上野山荘にした。2段ベッドの上だったので、最初は落ちるのが怖かったけれど、意外にぐっすり眠れた。

ウシュアイアでは、まず、KENさんが「ネイティブの人々と話したい」と言うので、先住民の生き残り探しをした。
結局、チリ側の島に生き残りの老婆が住むことが分かったが、われわれは行けない。
そこで、山の上にある先住民族のミュージアムに彼女の友達が居るというので、行ってみたら、その女性にすぐに会うことができた。
しかし、「私は詳しい話は分からないので、友達を連れて来る」と言うので、再会の約束をして別れた。
しかし、それは時間の制約でとうとう果たせ無かった。余裕の無い旅だったので仕方が無いが、心残りだった。

そして、ウシュアイアではヨットのクルージングにも出掛けた。
風に帆をはらませて、ビーグル水道を行った。
椎名誠も上陸したという「H」島に上陸し、野鳥の営巣地や原住民の生活の跡を見た。
不思議な苔のような丸い植物もあったが、チリやペルーでは4000m級の高地でしか、生えていない植物だということだった。

お約束のペンギンには残念ながら会えなかったけれど、ヨットの4時間のクルージングはフランス、ドイツ、そしてアルゼンチンのカップルとご一緒できて、自然がいっぱいの面白いツアーだった。

写真はH島だが、湾が2つありHの文字の形をしていることで、この名が付いたということだった。
まさに野鳥の楽園だった。
写っているのはKENさんだけど、上下を船室で借りたレインコートにすっぽりと身を包んでいる。
全員この格好だったが、まるで宇宙飛行士のような格好だった。
驚いたことに、日本とは違い、ヨットに乗るのに救命胴衣も付けない!
まさに自己責任の国なんだと思った。

翌日は氷河の山を少し登っただけでタイムアウト!帰路に向かった。

さて、この旅はこれからの生活にはなんの影響も無いだろうけれど、世界の最南端の街に行けたことはとても嬉しい。

僕は、地球のシステムを少しは体感できたのだろうか?