2012年8月15日水曜日

アスンシオン設立475周年/475 años de la Fundación de Asunción

コンサートポスター。19時〜になってる
アスンシオンは1537年設立で今年の8月15日は設立475周年とのことで、今日は祝日だった。
出来た時はスペイン文化センターの名前にもなっているスペインの征服者Juan de Salazarさんが作った砦だったというこの街の人口は、今や50万人以上。周辺の市町村を併せたグラン・アスンシオンでは250万人以上が暮らす。

8月に入っていろいろパレード等のイベントが行われていたようだがなかなか行けず、やっと昨晩、カテドラル前で設立475周年を祝う「アスンシオン・セレナード」と銘打った大コンサートが開かれたので、師匠達と見に行った。

カメラを忘れたので写真は無い。
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ポスターには午後7時からとあったので、昨年の200周年の大コンサートの時は、どうせパラグアイ時間だろうと少し遅れて行ったら、入れないし全然見えなかったしで辛い思いをしたので、7時の10分ほど前に行った。
大きなコンサートの時や人気のあるイベントは、みんなよく知っていてすぐに満員になるから、「1時間くらい待つ気でいないとダメだ」と言い合って座った。

でも、マイクのセッティングに追われているし、椅子の並べ方でもめてるし、なんだか全然始まる気配が無い。
でも観客は半分ほど入り始めていたので、場所取りがてらそのまま待つことにした。
前3列はVIP席になっていたので、我々はたまたま開いていたど真ん中の4列目に座った
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カテドラルhttp://4cdelluiscampino-fagf.blogspot.com/
師匠が、カテドラル内でミサが始まったのに気付いた。
う〜ん、今からミサってことはやはり1時間は待たされるなぁと、のんびり構えていたら、8時になってもちっとも始まらない。

前のVIP席はガラガラなのに、客席はもう満員で周囲では立ち見が大勢出ている。
おかしな光景だ。

なんか議員さんの奥さんらしきキラキラ派手派手なおばさんが今頃やって来たにもかかわらず、スタッフにVIP席の拡大を要求し始めた。
みんな座っていてもう無理だとスタッフが困っているのに、やたらしつこく傲慢な態度だ。
最後には拡大をあきらめて一番前にどかんと座ってタバコを吹かし始めたが、なんてヤツだと思った。
権力を握ると家族までおかしくなるのか。
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遅れることに慣れているように見えるパラグア人達も、1時間以上待たされてさすがに文句を言い始めた。
拍手が湧き開催を促す。みんないらだっているようだ。

しばらくして主催者側からマイクで、中でまだミサが行われているので待ってくれという趣旨の説明があった。
しかしそんなこと最初から分かっていたはずじゃないか。
でもこの教会がらみには客席は納得したらしく、一応静かになった。
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華やかに繰り広げられたダンス(ABC新聞サイトから)
それから、コロラド党の女性党首、アスンシオン市長が次々に現れてVIP席がざわついた。
取り巻きの連中が多いのでVIP席がやっと7割方埋まった。
そのとき、もう時計は9時を回っていた。

少しして、やっとテレビで見たことのあるダミ声の司会者が現れて、大きな声で開会を宣言して、やっとショーの開始だ。


それから!
ざわざわと入口付近が騒がしいと思ったら、なんと大統領のフェデリコ・フランコが現れた!
手を伸ばせば届きそうな、ボクの3席前に座った。
婦人らしき方を連れているが、SPはいないか離れているようだ。大胆だな。

観客から「フェデリコ、フェデリコ!」の声が湧く。
しかし同時に「ゴルピスタ(クーデター首謀者)!」の叫びがあり、一人の婦人が近づいてフェデリコを指差しながら強い口調で何か喚き始めた。
(この模様は翌日のTVニュースで流れていたが、僕らの姿も客席に映っているのを見る事ができた)
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エンディングは花火!(ABC新聞サイトから)
それから、市長や大臣があいさつしてお約束の「ビバ・パラグアイ!」を叫び、やっとのやっとこさ街の母アスンシオン設立475周年記念コンサートが、民族音楽とクラシックが融合した演奏とともに盛大にスタートした。

あとは夢のような素敵なひと時だった。
華やかな伝統的なダンスの数々、ラテン・バンド、アルパ演奏・・。
見たこと聞いたことあるものもあったが、昨晩のはかなりレベルが高く規模の大きいパフォーマンスだったので、パラグアイ音楽を満喫できた。
まだまだ続きそうだったが、夜中過ぎても平気な勢いだったから我々は早々に抜け出した。

実際に夜中過ぎまでやっていたようだ。
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レストランBOLSI
そのあとLIDOバーが満員でかなり待たされそうだったので、「BOLSI」で夕食。
http://www.bolsi.com.py/

ここはおそらくアスンシオンで一番有名なイタリアン・レストランだ。
この夜は満員だったが、「2分待って」と言われて、10分くらい待って入れた。
バルサミコで煮たベーコン巻きの柔らかな牛ステーキと、鶏肉のミルキーなソースが掛かったニョッキ、こんがり焼いた鶏肉が入ったサラダという夕食を、赤ワインと共に食べた。

美味しかった。
心地よく贅沢な気分だった。
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今日は祝日で、やはりセントロでは様々な行事やパレードが一日中(そして今も)行われていたらしいが、ボクは一日家にいて仕事などして過ごした。
外からは音楽が始終聞こえ、花火の音が響いていた。

ちょっと行きたかったコンサート
夕方にはパラグアイ代表チームのエクアドルとの国際親善試合があったので見たかったが、テレビ中継が無かった(^_^;)。
結局ボクの見たかった代表デビュー戦となるセロ・ポルテーニョのジョナサン・ファブロは1ゴールして存在感を示したようだが、試合自体は格下とも思える相手に3対3の引き分けに終わったようだ。

親善試合なので、報道もほとんど無かった。
パラグアイ人、いや南米全体の傾向なのかもしれないが、扱いが極端だな。
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年末まであと少しとなったパラグアイ生活。

最後に少し充実させたいが、このまま駆け込みでバタバタと気忙しく終わるのかな。
まぁそれもボクらしいか。
あの当初の初海外の大きな不安感を思い起こせば、充分楽しく過ごせたと言えるしね。

2012年8月13日月曜日

ジャガーの街の丘/Cerro Yaguarón

下から見上げたYaguarónの丘
パラグアイに来たばかりの同僚と、最近その名前を聞いたジャゥワロン(Yaguarón)の丘へ行ってみた。
この妙な名前は、帰って来て調べてみると、もともとグアラニーの神話に出て来る犬、またはこの地に住んでいたジャガーから来ているらしい。

そういえば、家々には犬のような等身大の陶製の人形が置かれてあって、本物かと思って驚かされていた。
変な風習だと思っていたが、曰く因縁があったんだな。
写真を撮れば良かったが、残念ながら無い。
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Yaguarónは南に向かう1号線上、アスンシオンから50kmほどの距離にある。
途中のSan Lorenzoでたくさん人が乗って来て一時ぎゅうぎゅう詰め状態になり、どんどん車外に見える緑が多くなるに連れて、ぱらぱらとまた減って行った。

Yaguarón手前には「カンタロー(陶製の容器)とハチミツの街」という横断幕がかかったItáの街があり、街路も美しくよく整備されている印象を受けた。
毎年2月3日にはフェスティバルが開かれているらしいから訪れてみたかったが、来年となるともう無理だな。
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上から見た景色
さて、1時間以上乗ったところでやっとYaguarónという表記が現れ始めたので、運転手さんに丘の場所を訪ねたら「ここで降りて、真っ直ぐ行けばいい」という返事。
降りてテクテク赤い土の道を歩いていると、上面がほぼ水平に見える台形の岩の丘が見えて来た。
丘の上に、十字架と礼拝堂のような建物が見える。

当たりを付けて階段が続く山道を行ったが、突然岩の壁に道を阻まれた。
おかしい・・。
しかし戻るのもヤなので、そのまま肩を使ったりしてロッククライミングまがいに昇りきった。
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岩の上で休む好青年
そこは、いきなり台形の上の平地で、遠くの丘まで見渡せるいい景色が広がった。
前から若者が一人やって来たので、聞くと他に道がやはりあったようだ。
握手をして来たので、なんとなくそのまま彼と連れ立って、さらに上の岩を目指した。

足下をふと見ると、彼はなぜかクツを脱ぎハダシだ。
おかしなヤツだが優しそうだし、聞けば哲学科の学生だというから考える人だ。
どうやらこの丘は昔からの聖地らしいから、そういったものを直接肌で感じたいらしい。
インドに行った事は無いが、インド人のようだと思った。

岩の上は、いい風が吹き抜けて気持が良かった。

トンビのような鳥がたくさん舞っていた
たくさんトンビのような鳥が舞っていたので若者に何の鳥か聞くと、「グアラニー語ではゥルブだ」みたいなことを言った。
屍を食べる鳥だというが、それじゃ禿鷲じゃないか。
確かに頭が少し白いようだが、少しでかいトンビにしか見えない。

途中、もうひとり別の若者が岩の上にたたずんでいて、こっちはかっこ良かったので写真を撮らせてもらった。
しかしハダシの彼の写真は撮り忘れた。
ごめん考える人。君こそ撮るべきだった。
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降りるのも、雨水が下る道であろう切り込みのような道無き岩場を降りた。
おりきった所は公園のような広場になっていて、公衆トイレが整備されていた。
子供たちが勝手にトイレの前に陣取り、盛んにトイレを勧めて3milGsだという。

う〜ん。バスターミナルの有料トイレはもっときれいに掃除されているし、相場は1milGsだ。高過ぎるぞ。
いや、その前に君らは勝手に占拠しているだけで、そこは無料トイレじゃないか。
・・と言いたい気持を抑えて、にっこり笑って「今はいいよ」と言って帰り道を急いだ。
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外観はシンプル
その後、気持のいいパティオで昼食にミラネサを食べ、2時から開くという教会を見に行った。

……すごい!
フランシスコ教会の特徴らしいが、外観は白くシンプルなのに内観は荘厳で豪華な装飾に溢れている。


正面には「Templo de San Buenaventura」という文字が。
すべてを直訳すると「聖なる幸運神殿」?
いい名前だ。


内観は荘厳で豪華な雰囲気
木彫と思われる贅を尽くした彫刻がほどかされている。
この街は1587年アスンシオンに半世紀遅れて2番目に設立されたというから、スペインから来た職人さん達が作ったのだろうか?
入口に寄付箱が置かれていたが、内部の装飾に圧倒されてすっかり忘れてしまった。
ごめんなさい。
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Yaguarónの街は独裁で名高いホセ・ガルパル・ロドリゲス・デ・フランシアの出身地でもあり、パラグアイの伝統音楽を演るペテテ・ペテケというバンドがあるとウィキペディアにあったので、Itáと併せてまた来てみたいが、どうかな?来れるかな?
http://en.wikipedia.org/wiki/Yaguar%C3%B3n

2012年8月5日日曜日

アレグア「いちご祭り」/Feria de la frutilla en Areguá

湖美術館の入口付近
アレグアは「芸術家の街」ということになっていて、陶器中心に職人や画家やミュージシャンが暮らしている。

湖文化センターという美術館があって、現地の陶器作家の作品を中心に紹介している他、折に触れ積極的にカルチャー教室や講演会、映画会などを開催して地域に文化のタネを蒔いているようだ。
http://www.facebook.com/pages/Centro-Cultural-del-Lago/123457937675469

その美術館の向かいには怪しい私設の美術館があるし、となりにもクラフト作家の家があってなかなかいい作品を展示販売している。
ボクは、以前ここでアクセサリーを買った。
http://flying-house.blogspot.com/2011/10/aregua-ciudad-de-artesanias.html
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そして、アレグアはまた保養地でもあり、対岸のサンベルナルディーノほどではないが、ウパカライ湖の岸辺ではヤシの木が生えてボートもあり、ちょっとしたリゾート気分を味わえるので、夏休みにはたいへんな賑わいらしい。

さらにアレグアの街はイチゴの産地としても知られ、国道沿いにはたくさんのイチゴ売り屋が並んでいる。
街の山間には大きなイチゴ畑があり、専用のバスも走っている。

湖美術館のとなりの店
このバスに乗ってイチゴ園に行く途中には、家具美術館が約2年前にできて早速行ったのだが、金持ちの道楽で集めた数百年前の古い立派な家具が大きな1フロアに展示してあった。
家具のよほど好きな人以外は、不便な場所なので来ないらしくまったく人が居ないのも印象的だった。
何度か呼び出して鍵を開けてもらい入ったが、暑い時期でクーラーを付けたもののなかなか効かず、汗だくで観ていたのを思い出す。
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さて、今回のアレグア訪問は8月4日の晴れた土曜日で、「いちご祭り」開催の記事を、新聞社のサイトで見たからだ。
http://www.ultimahora.com/notas/549599-Feria-de-la-frutilla-este-sabado-en-Aregua
まるで浮観堂のような施設ができていた!
アスンシオン港では恒例のプエルト・アビエルトが行われ、住まい近くの階段状のコロニアル時代のテラスでも音楽やテアトロなどのイベントが行われていたようなので少し迷ったが、アレグア行きのバスに乗った。

そしてアレグアは、湖付近がずいぶんときれいになっていた。
ゲートから始まり歩道や、芸術の街らしく地図と噴水代わりのオブジェまであり、日本の浮観堂のように通路が湖に伸びていた!
湖の中にまで、釣りをしている人間の鉄製のオブジェが浮かんでいた。

しかし、ずいぶん本気で整備したものだ。
パラグアイの最先端リゾートを目指しているのだろうか?
それにしても、かなりの投資だから、どこの資本を使ったものなのだろう?

市内案内図(この裏)と噴水代わりのオブジェ
これでちゃんとした宿泊施設でもできて、付近の柱状節理のある丘などの自然を舞台のアクティビティを考えてネイチャーガイドなんかも養成できれば、世界から、少なくとも中米各地から観光客が訪れる一大リゾート地になることも不可能ではないと思わせてくれる。
湖の水が汚いので、水質浄化も大きな課題だけれど。
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肝心の「いちご祭り」は、この湖岸で行われていて舞台や屋台、展示ブースまであって、配られていたパンフレットに「EXPO CENTRAL」とあったが、確かにミニEXPOとなっていた。

いちごと生クリームの美味しいデザートを食べて「いちご祭り」を少し味わったが、ステージでは音楽ショーも行われていたので、前にアスンシオンで出会ったアレグアに住んでいるという南米各地から集まったミュージシャンたちに会えるかと期待していた。
しかし彼らの姿はどこにもなかったので残念だった。
アスンシオンの階段イベントのほうに出てたのかな?
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アレグアの城
今回のアレグア訪問では、前回写真を撮れなかったお城の写真も撮って来た。
この小さな城は、初代大統領カルロス・アントニオ・ロペスの息子である第2代大統領フランシスコ・ソラーノ・ロペス(マリスカル・ロペス)が1860年代に建てたということだったが、いとこにあたる女性がその後暮らしていて死後教会に寄付されたらしい。
今は横にあるきれいな教会や宿泊施設と合わせ、広い敷地全体が教会施設になっている。

高齢のシスターが「中はMuseoになっている」というので「見たい」と言ったら、親切な小太りでサッカー好きなシスターが、塔のある屋上まで丁寧に案内してくれた。
シスターとボク。後ろに教会が見える
感謝。
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昼食は湖岸近くのレストランで摂ったが、静かで芸術の匂いがあちこちにするアレグアの街はいつも落ち着く。
アスンシオンに住んでたまに来るからいいのかもしれないけれど、アトゥラと並んで住んでみたい街のひとつだ。

命が永遠に続くなら、世界中の静かな街で住んでみたいと思う。
こうして初の海外暮らしをする前は日本が一番だと思っていたから、そんなこと一度も考えたことは無かった。
ヘミングウェイやゴーギャンといった著名な作家や芸術家が、生地を遠く離れて南の島などで暮らしていた気持が今ごろ分かった。


2012年8月1日水曜日

友達の日2012/Día del Amigo 2012

休日の学校でcantina横のasadoパーティ

7月30日は、パラグアイでは「友達の日」だった。

「パラグアイ発祥で今では世界中に広がってるんだ」と周りの人は言い、確かに国連で定められているようなので、それは本当なんだろうけど、ボクは日本では聞いたことが無かった。

http://es.wikipedia.org/wiki/D%C3%ADa_del_amigo

去年は、前日に誰とプレゼント交換するかを決めて、生徒と一緒にクラスみんなでAsadoで祝ったり、先生達が集まって朝食会があったりしたが、今年はインフルエンザの影響で学校が長く休みだったから、友達の日では無く別の日に先生だけが集まってAsadoパーティをした。
この日はHornoで肉を焼く。犬が欲しそうに見てた
幸い天気も良く、おだやかなパーティとなった。
犬達もおこぼれに預かれるので、嬉しそうにしていた。
もったいない話しだけれど、ボクも固くて食べにくかった肉を途中で犬にそっとあげて、柔らかい肉を食べた。

学校が始まって、生徒に去年のように交換会をするかどうか聞いたら、しないという意見が多くしないことになった。
ちょっと寂しい。
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友達の日の朝、学校中のみんなが生徒も先生も「Felicidades!」と祝いのあいさつをする。
すっかり生活に定着した記念日なんだな。

みんなでのんびり肉とワインをいただく
一部では自主的なプレゼント交換も行われ、ボクもプレゼントを持ってくれば良かったと思った・・・って、確か去年もそう思ったのにすっかり忘れてしまっている。
この日記に書いたのになぁ。
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メルコスールでは、パラグアイは民主的じゃないと非難されている大統領の交代劇によって一時参加停止処分を受けているが、その間に独裁と言われるベネズエラのチャベス大統領が笑顔で一員に受け入れられた。

もちろんパラグアイの居ない間のことなのでパラグアイ政府は反発しているし、さらにベネズエラとイランの危険な武器取引が指摘されたり、ボリビアもまだ北方のチャコ地方をあきらめていないというし、なんだか危険な足音が迫る中で、パラグアイらしいアミスタッド(友情)精神がうまく発揮されて、丸く収まって平和が続く事を願う今年の友達の日でした。