2011年8月27日土曜日

市場のパラグアイ料理/Cocina Paraguaya en Mercado

メルカディート(メルカド1)で日々食べていると、やっとパラグアイ料理が少し理解できるようになって来たので書くことにする。

たとえば今日のメニューを思い出し出しいくつか・・。
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Caldo de Pescado (魚のスープ)
Caldo de Pollo con Vori (鶏肉のスープ・ボリ入り)
Albóndiga con Arroz(米とハンバーグのような料理)
Lengua con Arroz(米と牛舌料理)
Picadito (細かく刻んだ肉料理)
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Puchero con Poroto(骨付き肉と豆の料理)
Bife (焼いた肉料理)
Bife Cogua (煮た肉料理)
Milanesas (いわゆるカツ。牛とチキンがあり)
Tallarín (スパゲッティ的料理。ニョッキもあり)
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Arroz con Estofado (ソース掛け肉と米)
Polenta (とうもろもし粉のクリーミーな感じの料理)
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他にもHígado(牛レバー)やPollo horno, Asadoなんかもある。
珍しいところでは牛の内蔵スープ、Cardo Avaというのも食べた。
少し臭みが残っているので、辛味調味料をたくさん入れたら美味しく食べれた。

普通はみんな、「メディオ」と言って半分のサイズを頼む。
「エンテーロ」と呼ばれるそのままのサイズを頼むと、大盛りだと思うくらいの量が来る。
でもこれは店によって違うので初めての店では悩むところだ。
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メルカド1写真が無いので写真はすべてメルカド4
以前メルカド4や他の食堂で同じように頼んだら、少量過ぎて追加注文したりした。
初めての店は、システムや値段が違う事もあり、いまだにいつも戸惑う・・。
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さて、我々がよく食べている「Ña Augustina」や「Las Delicias」などの6〜7件ある食堂では、ビールを含めアルコール飲料は一切置いて無く、消化にいいとパラグアイ人が信じて止まない「ガセオサ」と総称するコーラなどの炭酸飲料とオレンジを絞ったジュースがある。
市場の食堂なので、サラダこそあるがコーヒーもデザートも無い。

デザートのお菓子は、売店があるので食後にそこで買って行く人が多く、あんこまで形がくずれていない小豆のようなものや、米とミルクを混ぜた甘いものがあり、2000Gs(約40円)程度と安価なので食べてみたら、意外に美味しかった。
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「Ña Augustina」はアウグスティーナおばさんがオーナーで、調理人1人と4〜5人のウエイトレスがいて、50〜60の席を切り盛りしている。
我々が行く昼間は回転率が非常に良く席の取り合いで、みんなさっと食べては帰る。

上も下もモノだらけ(動画のキャプチャ)
最近、アウグスティーナおばさんはご高齢なこともあって膝が悪くなり、しばらく休んでいた。
その間、少し味が落ちているように感じたが、それは我々だけの感想では無かったようで、一気に客がとなりに移った。
今では前と逆転して、となりの店の方がいつもお客さんが多い。
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いまも時々休むので、ベテラン店員さんが集金してる姿をたまに見る。
でも、そのほうがてきぱきと集金が進む。

ただ問題は、値段が多少変わってしまうことだ。
往々にしてベテラン店員さんの時の方が少し高め。
今日もよくやる3品食べて2人で分けるやり方で、いつものように一人8000Gs(約160円)かと思ったら、9000Gs(約180円)だった。
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入口付近。中は迷路みたい
でも不思議なことに誰も文句を言わず払っている。
それに伝票なんかは無いし、会計も自己申告性なので、ごまかしなんかもありそうだと思うが、結構正直にみんな申告している。

まぁ、もともとレストランなんかと比べると半値くらいの安さなので、みんな多少多くても納得して払っているのだろう。
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この食堂はあまり奇麗では無いものの、自然光をうまく取り入れた雰囲気が好きなので、いっぱい写真を撮ったり、みんなを連れて行ったりしたいが、アジア人系をあまり見かけないので、目立ちそうで少しイヤなんだな〜。
・・・と、目立たず馴染んでこの国で生きていたいボクは思う。
(最近道を訊かれることが多いので、それはある程度できているんだろう)

しかし、それは小さな犯罪に巻き込まれないための知恵でもある。

メルカドは人が集まる場所なので、物売りやはだしで小銭をせびる子供達も多く出没する注意場所でもあるからだ。
そんな時いつも、ストリートチルドレンがいなくなって欲しいなあと思う。
生きるために、そして時には親のために、また薬のために、街角で物乞いをしたい物売りをしたり犯罪行為を行う子供達を、強制的に学校へ行かせるための給食制度や生活保護制度の充実を心から願う。
ボクになにかできないんだろうか・・。

2011年8月20日土曜日

他力本願/Hagalo usted mismo

日本製のオフセット印刷機
学校のオフセット印刷機の水ローラーによる、不具合が出た。
インクのノリが悪かったり薄かったり。
同僚によると、どうやらローラーのゴムが痩せた事が原因による、圧力不足らしい。

日本ならここで、ゴムローラーが寿命なので新品と交換しよう、という話しになる。
ところが彼は考え方が違う。
ローラーを支える金具を削って高さを変えて対応しようとしている。


でも、削ったら新品を取り付けた時、困るのでは?
と思ったら、反対側を削っているから、リバーシブルにして大丈夫だという。
機械な怪しい2人。後ろで生徒が笑ってる。
金具の形状が長方形なのでできる技だ。

いい悪いを別にして、日本の機械なので、部品も日本から取り寄せなければならないから、コストも時間もかかる。
だから、修理できるところはとことん修理しようとするのだ。
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60年以上も使われているドイツの印刷機
なんだか感心した。

かつては日本でもそうだったんじゃないかな。
なんでも新品に変えてしまえという発想はいつから?
高度成長期を経てから?

まず自分で調べ尽くして、やれることはやってから新品に交換するという姿勢は今の日本では失われているように思う。
ここパラグアイでは車もとことん使うべく、みんなかなり自分で修理できる。
それは車を持つものの責務であるかのように。
そして、よく修理できる男は女に好かれる。

学校では誕生日や記念日には必ずAsado
Asadoでもそうだ。
うまく肉を焼けることは、持てる男の条件だ。

あきらめずに自分なりにとことん調べ尽くし、失敗してもいいからやってみる姿勢は重要だ。
そうすればよく知る事ができる。

大多数の日本人は今、金があるからなのか、すぐにいわゆる「専門」に頼ろうとする。
コンピュータ化されて、ブラックボックスの多い昨今の機器だが、考えさせられたできごとだった。

2011年8月18日木曜日

アスンシオン建立記念日/Día de la Asunción

15日の月曜日はアスンシオン建立記念日で、今年は建国200周年という節目の年でもあるので、あちこちで様々なイベントが、前後日に行われていました。
おなじみのパレードや国内ミュージシャンによるコンサート、詩の朗読会などがセントロや各ホールで行われていたようです。



ボクは結局、セントロのパレードと開港イベントのフェリアを見たのと、クラシックコンサートとバレー観劇に行きましたが、なかなかパラグアイでは味わえないような刺激的なイベントの連続でした。

クラシックコンサートは、建国200周年イベントとして世界中の若い音楽家を集めたミュージックキャンプの成果披露の場らしく、国内各地で10公演をこなした一環でした。
出身国もさまざまなので、スイスホルンや中国の歌、欧州や南米の曲、もちろんクラシックの名曲に、アルパをフューチャーしたご当地パラグアイ曲など多彩に演奏されました。


ボクの耳からすると彼らは大変に上手な上に楽しげで、大満足どころか、フルオーケストラの演奏は子供の時以来で、ほぼ初めてとあって、感動さえして聴かせていただきました。

会場となった市立劇場も少し古いもののなかなか立派で、客席が4段になっています。
超満員で、僕らは3段目の前のほうで聴きました。

この劇場ではバレーの「ドンキホーテ〜ラマンチャの男」も見ましたが、こういうクラシカルで豪華な演目はやはり、こういうホールで観るとなお栄えます。

バレーも初めて見るので感激の連続で、次から次へと現れる華やかな衣装や舞台芸術に、いちいち感嘆の声を上げていました。

セリフの無い劇なのに、体の動きだけでパントマイムのようにすべて分かってしまうのも感心しました。
音楽が生演奏で無かったのが残念だったのですが、クラシック音楽に乗って踊る素晴らしい姿に、そんなことはすっかり気になりませんでした。

しかも、どちらもなんと招待制で無料!
おかげで、日本でも見たことがない良いショーを見せていただきました。

パントマイムといえば、その前にはおなじみスペイン文化会館で欧州の匂いのする舞台も観ました。
文化度が低いとばかり思っていたけれど、なかなかやるなぁ、パラグアイ。
まだまだ楽しませてくれそうです。




2011年8月12日金曜日

CDカバーデザイン/Arte y Diseño Musical

スペイン文化会館で、8月8日から南米の音楽アルバムカバーデザイン展が始まった。
古いものから新しいものまで南米各国の150のアーティスト参加だという。

なんだかオープニングライブや、ワークショップまであるらしい。
音楽好き、アート好きな僕としては行かずにはおれない。
http://www.juandesalazar.org.py/index.php/agenda/detalles/mira_que_lindas/

オープニングライブ:CCEJSサイトから
早速、オープニングライブから見に行った。
地元のVillagrán Bolañosというロックバンドで、あまり期待していなかったが、これが面白かった!

後で、金曜日にビニールバーであった彼らのライブを追っかるように見に行ったほどだ。
彼らはどうやら、アルゼンチンで活動していたメンバーが中心になって、最近活動を始めたバンドらしい。
アスンシオンでは、このビニールバーでまだ3度目のコンサートらしいが、それにしては完成度が高いなぁ。
もともと実力あるメンバーなんだろう。

ワークショップ右前に我々が:CCEJSサイトから
そして、昨日は音楽とデザインのワークショップにも参加した。
2夜連続なのだが、スペイン語での論理展開に付いて行けず今日は出ないことにした。

しかし、刺激的な時間だったことに変わりない。
半分以上理解できなくても、作品を見ながらコンセプトを固めて行く手法を語ってくれて、デザイン脳が刺激される時間を過ごした。

参考サイトも面白い。
http://www.camionetica.com/2011/05/21/dialogo-y-creatividad-en-el-diseno-de-portadas-de-discos/
しかし、ボクの語学力では言ってる事がよく分からないので、誰かこの内容を日本語で説明してくれないだろうか。



2011年8月1日月曜日

ゆるキャラの育て方/Televisión de Japón

NHKの海外向け放送が入るが、画像の悪いボロテレビ
今暮らす築40年というホテル(?)は、日本のテレビが見られる。
部屋にあるのは古いテレビで画像がたいへんに悪いが、なんとか見られる。

今は3チャンネルだけが見られるが、見ているとパラグアイにいることを忘れてしまう。
日本語脳のままで暮らしているので、スペイン語の上達に悪影響を与えていると思われる。
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しかし、日本のテレビが見れるのは悪いことばかりじゃない。
東北大震災の時はいち早く情報が得られ、不安な東北出身者の役に立てたし、海外から日本を見ていると感覚的に発見がある。

「管おろし」の動きなんかも滑稽に写り、「今はそれどころじゃ無いでしょ」と思って、批判ばかりしている日本の政治家にあきれてしまう。
電力会社の圧力?それともボクの感覚がヘン?
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それはさておき付けっぱなしにしていた日本の放送で、いわゆる「ゆるキャラ」成長物語をたまたま見た。
聖徳太子の生まれ故郷だという大阪府太子町の「たいしくん」の話しだった。

出展/imococlub HP
たいしくんは、着ぐるみとしてなかなかに可愛くよくできていると思うが、それだけではまさにキャラが立たない。
「和を以て貴しとなす」をもじって「和」→「輪」であるフラフープが得意という設定だが、中の人はフラフープができない。
イベントに参加しても、悲しい結果にしかならない。

そこであの、ゆるキャラ界の最高峰・ひこにゃんの育ての親という荒川深冊氏が登場して、キャラを立たせようという話しになった。

このアドバイスがさすがに的を得ていて、マネージャー役の町職員との掛け合いが大事だという。
マネージャーとの関係性の中でキャラが立って来るという指摘だった。

意識して取り組むと、とたんに、たいしくんが生き生きとした個性あるキャラクターに見えて来た。素晴らしい。
いろいろちょっかいを出すヤンチャなたいしくんと、苦労させられているマネージャーという構図ができて、見る側にたいしくんというキャラがはっきり見えて来た。

この辺の話はウラ話も含めて、太子町のまちおこし市民グループ「imococlub」のブログに詳しく載っている。
番組では簡単なドラマ仕立てだったが、そこに至るまでには深〜い努力があったようだ。
http://imococlub.blog112.fc2.com/blog-entry-231.html
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ここには教訓があると思った。
ただ単にキャラクターを作っただけで満足して、回りがおんぶだっこになってしまって育てる気持ちが無ければ何も進展しない。
やはり、なんにでも育てるプロセスがいる。

そしてそのためには、そのゆるい外観とは裏腹にしっかりした手抜きの無いストーリーやメッセージが必要だ。
つまり、キャラクターが持つ明解な世界観の構築と、自分たちの「良きメッセンジャー」だという認識が重要になって来る。

出展:Wikipedia
ひこにゃんもキャラの魅力というより、後付けのネーミングや中の人の動きやイベントでの演出や、扱い方に依存する所が大きい。
背景にメッセージや「想い」が詰まった「ひこにゃん世界」がちゃんとある。

そして、ひこにゃん自身が親元をちゃんと巣立って自律して見える。
そうなるとやっと「親のココロ子知らず」というか、放っておいても良くなるようだ。
いきなり放任主義では、自律できず消えてしまう。
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ゆるキャラだとバカにできないもんだ。
やはり定着のためには、キャラクターの王道を行くミッキーマウスのように、しっかりした世界観を持った長い取り組みが要るんだと再認識した。

キャラを作るということは、キャラを育てるということなんだな。
人間とおんなじだ。
親になる気持ちが無いと、簡単に作ってはいけないんだ。

深いなぁ。ゆるキャラ。