2012年9月30日日曜日

マックブックがデータでいっぱい/Mi Macintosh parece ser muy pesado de DATA.

愛用のMacBook Pro。モニター小さ過ぎ・・?
パラグアイの写真を無駄にたくさん撮ってどんどんパソコンに保存していたら、2年ですごい量になって来た。
そろそろハードディスクがやばいかも?
ということで、さっそく確認。

Macintoshだから以前はデスクトップにあるハードディスクのアイコンをクリックして使用量などをいつも簡単に見ることができたのに、今のボクの環境(Mac OS X 10.6.8)では、デスクトップにはハードディスクのアイコンがない。
(正確に言うと、ちゃんとアイコンはあるけど、前のように普通に最初からデスクトップに表示されていない)
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それでハードディスクやメモリ使用状態の確認には、アクティビティモニターを見るのが習慣のようになっている(みんなはどうしてるんやろう?)。
でもこのモニター、普段隠れててちょっと分かりにくい。
なぜ、わざわざ隠すようにしてあるんだろう?

アプリケーション→ユーティリティの中にある
アップルマークから直接開けるか、せめて「システム環境設定」から開けるようにして欲しい。
今はアクティビティモニターまでたどり着くのに、アイコンを探して開いて行かなきゃなくて手順がめんどうだ。

でもこいつは賢くて、CPUの使用率からメモリ使用量、ハードディスクの動作と空き容量、ネットの使用量までリアルタイムで教えてくれる。
ハードディスクはもうすぐ半分埋まってしまう

しかし!
このアクティブモニターの表示が、まるで古いWindowsのようなセンスの無い表示で、全然Macintoshらしく無くて、ボクはイヤだ。
今のWindowsのモニターのほうがかっこいいくらいだ。

メモリ。表示はこんな感じで全然Macintoshらしくない
なぜ、こだわり屋で完璧主義者に思えた故スティーブ・ジョブスは、こんな表示を認めたんだろうか?

サードパーティ製なら分かるけど、Macintoshにシステムとして付いてる見ざるを得ない機能表示が、他の表示とまったく統一されていない事に驚きを感じる・・。
最近iPhone 5の地図表示がでたらめでアップルのCEOティム・クックさんが謝罪したりして話題になってるけど、Appleを信頼していたボクにとってはそれに匹敵する驚きだ。
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この、先っぽのくびれ形状・・シャーペン?
驚いたといえば、アプリケーションのアイコン。
アルファベットのAを形作っているのは、ものさしと筆と・・鉛筆だと思っていたけど、よく見たらシャープペンシルだった!
気付かなかった・・。

なんでシャーペン?
これもなぞだ・・。
アップルにこれらの疑問を、今だけ新聞記者になって聞いてみたい。
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ところでシャーペンは、あの家電メーカーのシャープが最初に作って、社名の由来にもなっていると聞いた。

そのシャープと言えば、世界をリードしていた液晶事業も思ったように行かず絶不調に陥り、銀行に助けてもらって経営再建中らしい。
まぁ他の家電メーカーも同様に苦しいらしいから、日本のメーカーはサムスンのように早くに世界を見据えた展開をして来なかったのかな?
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iCar見たかった・・(ドイツ人の作った湖の街SanBernardinoで)
サムスンはスマートフォンでアップルと特許訴訟合戦してるけど、iPhone出現のときの衝撃はすごかった!
iMacから始まった故スティーブさんの先を見越した、マーケティングなんかぶっ飛ばしてしまうあの製品開発能力はほんとに天才的だなと改めて思う。

iPadの出現時は、あんな中途半端なモノがほんとに売れるのかって疑ったけど、あちこちで見かけるようになって、ここパラグアイでもテレビ局のアナウンサーモニターに使われているし、小学校の授業に導入されるなど世界中にかなり広がっているようだ。

スティーブさんは、iCarまで考えていたという話しもある。
iPadのように、うまく技術を組み合わせて使う人間の心をゆさぶるかっこ良くて革新的な車になっただろう。
見たかったものだ。

あ、Macintoshファンのひとりごとになってしまった・・。

2012年9月26日水曜日

別れとオレンジ精油/Adiós Mis Amigos de mi grupo, Aceite Refinado de Citricos

小さなシルビオ・ペティロッシ国際空港
昨日、同期の連中がパラグアイを引き上げて日本への帰路に付いた。
本来ボクも帰る日だった。
3ヶ月だけよけいにパラグアイにいることになった。
先に帰られるのは寂しいもんだ。

楽しみにしていた成田空港での再会も、夜の東京も無くなった。
一人ぽつんと成田に着くことになる。

滞在延長をいわば簡単にしてしまったけれど、少し運命が動いていろいろ無くすものがあるんだな。
だが、それ以上にいろいろ得るものがあると考えたい。

出発を待つ。空港の両替は少し率が悪い
これで、音楽仲間はコロネル・イグアスに行ってしまい、師匠も帰ってしまったので、パラグアイでの遊び相手がいなくなった。
師匠の置き土産の食材は大切に使わせてもらおう。

あ、それから師匠は香水に使うパラグアイの植物エキス、それにバジルを置いていった。

バジルはアグロショッピングで葉を買ったのを、ボクもやったように水に入れていたら、1本だけ根が出て来たらしい。
それが長く長く伸びて、農家からもらった土を小さな鉢に入れそこに植えると、立派なバジルポットのできあがりとなったものだ。
それをいただいて、今夕陽の見える窓辺に置いてある。

観賞用だけではもったいないので、たまに料理に使わせてもらおう。
鉢植えの置き土産バジル
嬉しい。
枯らさないように気をつけなきゃ。
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エキスは調香師をしている師匠のご兄弟からのもので、パラグアイの植物のもので嗅ぐと甘い匂いがする。
ラベルには「Petitgrain oil Paraguay」とある。

いったいどんな植物なんだ?とGoogleで探してみたら、そのものずばりの「Petitgrain oil Paraguay」という項目が出て来た。
http://www.thegoodscentscompany.com/data/es1009871.html

開けてみると色や比重や屈折率等の化学的な項目が並び、危険性等も書かれ、さらに何に調合できるかも分かる。
専門家が使うページのようだ。

Googleの日本語検索の筆頭には山本香料さんのホームページがあり、モロッコ産のプチグレンオイルの説明がある。
こっちは成分の化学式付きだ。
http://www.ypcyy.co.jp/contents/kaori_no_shizuku/tennen_seiyu/944
日本語なのでボクには分かりやすい。

パラグアイ・プチグレン油
ここにはこのオイルが柑橘系の葉や枝のエキスという説明があり、「昔からコロンに多用されているこの精油には心をリフレッシュさせる作用があると言われています。また、皮膚を強壮にする効果があると言われているので、ニキビケアに良いと言われています」と書かれてある。
ニキビで悩む青少年にあげたい。

さらに日本語で「プチグレン油」を検索すると、たくさん出て来る。
「昔から多用されている」と書いてあったからな。

そのうちのひとつを開くとちゃんと原産地にパラグアイがあった。
http://mio7.iinaa.net/01phytoaroma-003kiso-seiyujiten001-petit-grain.htm
原産国には他にフランス、イタリア、スペイン、チュニジアの名があがり、「他」も付いているが、南米ではパラグアイだけがあがっている。
特別な感じがする。

確かにパラグアイではオレンジがたくさん売られているし、朝食にはオレンジジュースが付き物だ。
しかしそういえばボクは農園を見たことが無い。
もうわざわざ行くことは無いだろうが、機会があれば産地を見てみたいものだ。
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だがこのエキス。キャップを閉めたまま机に置いておいただけで、心が落ち着くいい香りが漂う。
分解も早そうだが、師匠はいつこれを日本から持って来たのだろう?
少なくとも1年以上は経っているはずなのに、タフなエキスだ。

搭乗口に向かう連中
すごく落ち着くので机の上にずっと置いておきたいが、まずは冷蔵庫に保管してあと3ヶ月どうするか考えよう。
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空港での寂しい別れの話しを記録しておくつもりが、エキスの話しになってしまったな。

空港での別れの後はいつものペルー通りの店でビールを飲み、すごく久しぶりに近くの焼肉屋へ行った。
ハゲ親父はもう引退して、若い夫婦が営っていた。
気持いい風が抜けるパティオでは、きれいに上限の月が見えていた。

2012年9月24日月曜日

印刷屋さん探し/Imprentas en Paraguay

パラグアイ最大の印刷屋さん。中は撮影禁止
印刷は、値段があって無いようなものとよく言われる。
印刷機械は高価で、設備投資の費用を回収するために働いているようなものだとも聞く。

パラグアイでもたくさんの印刷屋さんがあって、個人でやってる小さなものから大規模な新聞印刷をも請負う会社まで様々だ。
(デザイナーの事務所には行く機会がまったく無いので残念だ。先日イラスト展のオープニング・パーティに行ったのだが、彼らなら知ってただろうなと今頃気付いて悔やんでいる・・)

もちろんデジタル印刷も盛んで、アスンシオンでは至る所にデジタル・プリントの看板が上がっている。
大型のカラープリンタ数台で営業しているところが多いようだ。

パーソナルなプリンタはHPが強いようだが、デジタル印刷屋さんは?
勢力地図はどうなってるのか分からないが、近所の出力屋さんはRICOHとXEROX製だ。
あるデジタル印刷屋さん。ここはオフセットも刷る

それからCTPも7色印刷も一握りの大手では当然のように行われているのに、小さな印刷屋ではHEIDERBERGの半世紀以上前の古い活版印刷機がまだ活躍しているし、オフセット印刷機がある中規模の印刷屋でも信じられないことに1色機や2色機でカラーを印刷しているなど、印刷屋にも格差が大きくあるようだ。
全体に印刷、特に写真の印刷品質が悪いが、そんな印刷の仕方をしているんだから無理も無い。
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帰るまでに完成しようとしている印刷物3つの見積をヒマな時にコツコツ取って回っている。
学校では手に余るものばかりだからだ。

ハイデルベルグの4色機スピードマスター(UltimaHora)
しかしいずれも少部数なので、大規模な印刷屋は相手にしてくれないだろうと、人の紹介を頼って中小企業を訪れている。
あと数ヶ月なので、そろそろ本気で発注しないと間に合わない。

しかし、全体に日本よりもかなり安いだろうという予想に反して、印刷代は高い。
人件費は安いが、印刷機械やインク、紙、そしてサービス、メンテナンス含めてすべて輸入、つまり外国頼りなのと、全体に印刷量が少なくすべて割高になっているからだと考えられる。
その証拠に、紙代があまりかからず古い機械で刷れるような小ボリューム小ロットの簡単な印刷物に限って言えば日本より安い。
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いつも買ってるプリンタ用インク
家で使っているHPインクジェット・プリンタ用インクも、黒とカラーの2個に分かれた小さなインクカートリッジだが、両方替えると130milGs位だから約2,500円ほどで日本で買うのと変らない。
これの消耗は早く、節約モードでも生徒のために150枚ほど印刷するともう切れてしまう。

これは、この国ではかなり高価で、昼食代2週間分が一瞬にして無くなる計算だ。

街にはちょっとしたブティックのようなインク専門の店まであり、インクは高価なものとして認識されている。

インクが高いので、専門店ではインク・カートリッジの詰め替えも当然のようにしてくれる。
しかし、どのメーカーでも関係無く同じインクを詰め替えているのか、かなり色が変わる。
街のインク専門店。詰め替えもやってくれる
ビジネス書類等で少々色が変わっても関係無いものはいいが、印刷やデザインをやるものにとっては非常に困る。
校正に使えない・・(;_;)。
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だが、印刷屋さんと話すのはなんだかホッとする。
印刷専門用語には共通のものが多いのでなんとか通じるし、単語が分からなくても話していると内容がだいたいつかめ、日常会話よりストレスが少ないからだ。

もっと的確に会社を見つけたいが、ぽつぽつと探し歩くのも日本と違って新しい場所が見れて楽しい。
今しばし訪ね歩いてみよう。

2012年9月22日土曜日

春到来と青年の日/Dia del Primavera y Juventud

先生達のユーモラスな踊り
木曜日は学校で青年の日の祭りがあった。
青年の日ということで、先生達が伝統的な踊りを踊って見せた。

これが、体型が中年型なのでユーモラスでことのほか面白かった。
去年もあったというけれど、ボクは見ていない。
きっと何かしていて気付かなかったんだろうな。

そういえば女子のバレーボール大会があったらしいが、高校のほうだけで職業訓練校は関係が無いらしく、まったく知らなかった。
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先生方が踊った後は、いつものように歌い踊りたい生徒が歌い踊った。

Artes Gráficasの生徒の元気な踊り
我Artes Gráficasの生徒も踊った。
カティアとアリセの黄金コンピだ。
彼女達はいつも一緒に踊っていて、タイプは違うけれど仲がいい。

特にアリセはいつも元気で盛り上げ上手で、最近クラスの男子と恋人関係になり、よくいちゃついているが彼女は嫌みが無く、微笑ましく応援してあげたくなる。
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さて、その春分の日の9月21日金曜日は、青年の日であり春の日ということで学校が休みになり、先生のキャンプイベントが企画されていたのだが、天候不順だと直前に中止になった。
仕方無いので部屋に居てやり残しの仕事をこなそうとしていたが、街でパレードをやっていると聞いて久しぶりにカメラを持って出掛けた。

たくさんのテレビ中継が入り、警官隊が溢れ、露店や売り子もたくさん出て、大勢の人出でセントロは賑わっていた。

テレビ中継も入り大変な人だかり
歩行者天国になっていた英雄廟の前に人だかりができていて、押し合いへし合いになって来た。
ボクはカメラを盗られないように注意しながら歩いていたが、大声が聞こえて、目の前をカメラ泥棒が走り抜け、大勢の若者と警官隊が後を追って走っていった。
彼は川沿いのスラム街に走り込もうとしていたようだが、しばらくすると手錠を掛けられて警官隊に連れられて、通りを野次馬を従えてパトカーのほうに連れて行かれるのが見えた。

また、一部でパレードを妨害しているとして、警察隊と若者のデモ隊との小競り合いもあったようだ。
http://www.ultimahora.com/notas/562839-Video:-Furioso-policia-arrebata-camara-a-manifestante
確かにピックアップトラックの荷台に若者が大勢のって騒いでいたのは目撃したが、警官隊と揉めてる様子は見なかった。

カテドラルの前のパレード
大勢出るとなにか騒ぎがあるのは日本も同じことだが、アスンシオンの人はみんなで泥棒を追いかけたりして、見て見ぬ振りはしないところがちょっと違う。
警官隊と若者の衝突も、警官がカメラを奪ったが、周りの人が抗議の声をあげてすぐに返したようだ。
前にメルカド・クアトロで泥棒騒ぎがあった時も、数人が追いかけていた。

でも、南米では取られたら終わりだと聞いていたから驚きだ。
こうした追跡劇は、たまたまなのかなぁ。


2012年9月15日土曜日

フラメンコの夜/Una Noche de Flamenco

なぜかパラグアイで初フラメンコ。迫力あるなぁ・・

フラメンコを見た。

もう帰国準備真っ盛りで仕事を終えてフリーの師匠に付き合っていただけたので、行く事ができた。

La Caferiaという日本パラグアイ文化センター(CPJ)のすぐ近くにあるレストランバーが、会場だった。
学校の後、CPJで茶道の冊子撮影をして師匠の家で休み、イタリアンレストランで夕食を食べ、ぼちぼち歩いて着いた。

ボクはフラメンコを観るのは初めてなので、なかなかの迫力で面白かった。
去年の今頃に観たアルゼンチン・タンゴは大規模なショーでアクロバチックなすごい迫力だったけれど、今回のスペイン・フラメンコは小さなカフェで間近に観れたので、また違った迫力があった

会場のRestaurante La Caferiaの客達
師匠が、スペイン南部コルドバのフラメンコに似ているという。
地方によって踊り方が違うらしい。

しかし、パラグアイでは様々なショーが観れる事に驚かされる。
それもほとんど無料で。
交響楽団もバレーもジャズもロックもブルースも、そして豪華なタンゴも無料で観た。

今回のフラメンコは15milGs(約300円)だが、かなり内容が濃かったので安いと思った。
ギターも踊りも上手かった。

すごく雰囲気出してたEmilio Paredesさん
ギターとボーカルを担当していたEmilioさんは、日本語を少し話せた。
帰りがけに親指を立てて「Muy Bien」と言うと、「ありがとう。私の名前はエミリオです」と言ったので、「私の名前はアキです」と答えた。
その後、まだ話したそうだったが、彼は誰かに呼ばれて「失礼します」と言って去った。

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ネットで調べたら、彼はEmilio Paredesと言いスペインやチリ、ブエノスアイレスなどでギターを学んだのだという。

まだ30歳だ。
(見かけはベテランっぽかったけど・・)

YouTubeのEmilioのライブ映像
CPJでのライブの映像もあった。
しかも、この映像のライブはボクも師匠も観ている!
前後にもたくさんミュージシャンが出て確かEUも後援していた、贅沢な無料ライブだった。

師匠が「観たことがある」と言っていたのは正解だったのだ。
La Caferiaでは毎週木曜日に演ってるというから、また観に行きたいな。
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ところで師匠とバーに向かっている時、日本語で「夏春秋冬」と書かれたレストランを発見した。

そこで師匠が面白いことを言った。
日本で、商売をやってる店には「春夏冬ニ升五合(にしょうごんごう)」とかつてよく書かれてあったと言う。
「秋無い升々半升(=商益々繁盛)」というわけだ。

なるほど。昔の人は面白い事考えるなぁ。

2012年9月14日金曜日

ワールドカップ2014南米予選を見る/Eliminatoria Sudamericana 2014 - vs Venezuela

今日は教育文化省のストとかで、学校はお休みモード。
早く帰って来たので昼からの約束の前に、先日9月11日の火曜日に招いていただいて行くことのできたワールドカップ南米予選観戦を記録しておこう。
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会場はパラグアイ最大のサッカースタジアム「Estadio Defensores del Chaco」。
対戦相手はベネズエラ。
2014年の開催国ブラジルを除く9国の代表で行われる南米予選。
南米だけあって強豪ぞろいだし、各国国民の関心も高い。

ここまで1勝しかしていないパラグアイ。
しかしホームでの試合だし、ベネズエラは前戦の絶好調アルゼンチンほど強くなさそうだし、勝たなければならない状況だし、さすがに勝つだろうと期待して出掛けた。

ファンも少しあきらめムードが漂い動員数も危ぶまれたが、行ってみたら満員のスタジアムだった。
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監督も、不評だったFrancisco Chiqui Arceから、絶好調だったオリンピアを率いていたウルグアイ人名監督Gerardo Pelussoに変っているし、ボクの好きなセロポルテーニョのジョナサン・ファブロの代表出場2試合目とあって、期待してもいいチームになっていると勝手に思う。

http://www.pelusso.com/(Pelussoのサイト)
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初めてのDefensores del Chacoスタジアム、初めての代表試合。
スタジアムに近づくにつれ、赤と白の代表シャツ集団、ドラムとキャンギャル集団、そして警官、マスコミなどで騒がしく、否が応でも気持が盛りあがる。

ハーフタイムのキャンギャル
空には、パラグライダー男がライトを光らせて舞っている。
早く入りたい!

しかし、入場制限が掛かっていて入るまでにおそらく30分以上要し、席に付くともう開始から20分ほど経っていた。
次からは2時間前には、着くようにしなきゃな。
つまり夕方早くからどっか近くのバルで飲み始め、1時間前には入場するのが正解だ。

遅れて入っても実際におなじみのユニフォーム姿のメンバーが走る姿を、ぎっしりとスタジアムを埋め尽くした約4万人のファンと一緒に見ていると、テレビとは違う生の迫力があって、雰囲気だけでも面白かった。
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意気消沈する試合後のチーム(ABCサイトから)
しかし試合自体は・・。
ファブロはいいパスを何回もゴール前に出していたが、選ばれた世界レベルのはずのフォワードはゴールネットを1回も揺らす事ができず、逆にベネズエラに2点取られて完敗だった。

ゴール前の決定的なチャンス機に入れる事のできないフォワード陣、逆にあっさりと点を取られるキーパーも含めたディフェンス陣・・これが本当にあの南米パラグアイの代表チームなのか?!

決してベネズエラチームが強いようには見えなかった。
むしろパラグアイ代表の不甲斐なさが感じられた。
負けただけでなく、次につながる気もしない。
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トーナメント順位表 (Wikipediaから) 最下位です・・
パラグアイは南米予選を戦う8チームのうちこれで7チームと当ったが、エクアドルからの1勝だけで、1勝1分5敗の成績で4ポイントのみで最下位(!)だ。

2013年10月15日のコロンビアとの最終戦まで、コロンビア初戦と各国との再試合の計9試合が残っているが、全部勝たないと厳しい。
(トップはメッシ率いるアルゼンチンで、これまで4勝2分1敗の14ポイント)。

パラグアイは残り全部勝っても、27ポイントプラスの31ポイント。
前回のワールドカップ出場時は、34ポイントだったと同僚が言ってたから、全勝しても届かない・・(^_^;)。

ファブロの初合流でワールドカップへ!そして日本と競って優勝目指せ!・・の夢は消えようとしている。
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戦略が無かったと、新聞でもたたかれているようだ。
http://www.abc.com.py/deportes/futbol/vencer-o-morir-449596.html
はぁ・・。

次の試合は、ちょうど1ヶ月後の10月11日コロンビア戦。
もはやポイントのことは考えず、将来への準備という意味で1戦1戦大事に戦略的に戦ってもらいたいものだ。

「さすがセレクション!」と言わせてくれ〜!
(でも、次も見に行きたいな)

※南米予選は開催地ブラジルを除く9カ国代表チームで争われ、上位4チームが本大会出場。5位チームはアジア5位と戦って勝った方が出場。

2012年9月11日火曜日

目をやられてしまった/Se me ha metido un dedo en mi ojo!

右目の怖いトラブル発生。

こんな感じのカウンター目つぶし状況。痛かった
あれは合気道の練習を再開して2週間ほど経った、今から2週間以上前の8月24日の金曜日の夜のこと・・。

並んで中段突きを正面から受ける練習をしている最中に、倒される側に回ったボクが中段を突いて行ったら、相手の手が本来首のところに来るはずなのに目の方に来て、指がボクの右目を直撃したのだ。目つぶしだ!
一瞬痛みで、目を押さえてうずくまってしまった。

今から思えば、ボクの前のヤツも鼻に当って痛がっていたので、ワザを掛ける側の彼には危険な兆候があったのだ!
立ち上がって痛みの中そっと目を開けて見たが、なにか違和感があった。
涙がしばらく出ていたが、痛みは引いたのでそのまま練習を続けることにした。

・・ところが帰り道、暗い場所に出たら白い光の輪が目の端にチラチラ見えて、イヤな予感。
しかし朝になったら治るだろうと軽く考えて、疲れ目の目薬を差して眠った。
ーーーーー
いわばこんな感じ
朝、ちっとも治っていないので、冷静に症状を見た。
目の端にいわゆる飛蚊症のひどい固まりがあってジャマだし、おまけに目を左に動かすと右端の周辺に沿って光の輪がキラッと見える。
うわ〜これは網膜がやられたかもしれないなーと、当然医者に行く事にした。

土曜日だったので、朝開いているという近所のクリニックを訪ねたが、いるはずの医師は不在だった。
秘書は予約だけして、月曜の夕方来てくれという。
予約したがキャンセルして、月曜の朝を待って馴染みの病院に行く事にした。
ーーーーー
8月27日(月)。
朝職場へ行く前に、近くのアドベンティスタ病院へ。

日本人医師の診断を受けたが眼底検査をしないと行けないとのことで、午後から彼女のクリニックへ行った。
歩いて10分ほどのビルの3階にあり、結構混み合っている。

受付の女性に目薬を差されて、目をしばらく閉じていると周りがまぶしく光が拡散して見えて来た。
瞳孔を開く目薬だ。

目の構造。水色の硝子体がはがれたらしい・・
大きな光の出るメガネのように掛ける器具で、光を当てながら丁寧に両目を見て行く。
診断結果は硝子体剥離。
衝撃で出血を伴ってはがれたらしい。

でも網膜は無事だとの事で、目薬をもらって1日2回2週間点眼を行い、経過観察することになった。

もらったBROMFENACと書かれた目薬をネットで調べたら、非ステロイド系の抗炎症薬とのこと。
まぁキズだからな・・。
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でもそれから目薬継続指定の2週間を過ぎ、症状は変らない・・(;_;)。
また医者に行くべきか、日本に帰る12月まで待つべきか。

もう少し目薬が残っているので、これが無くなってまだ症状が続くようなら、とにかく再診だな・・。
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合気道に、また行けなくなってしまったのは残念だ。
面白みが分かって来たところなのに・・。

治るまでは衝撃はいけないと、ランニング等の運動もしないで毎日休んでいたから、お腹の辺りがたるんで来たようだ。
腹筋だけでも再開しなければいけない。
パラグアイは、肉を食べる機会が多いからなぁ。

2012年9月9日日曜日

映画「7つの箱」/Pelicula Paraguaya "7 cajas"

メルカド・クアトロの夕景(映画サイトから)
今パラグアイで、話題のパラグアイ映画を見た。
「7 cajas(7つの箱)」
ボクの住む。ホントにすぐそこのメルカド・クアトロが舞台の映画だ。
http://7cajas.com/
ーーーーー
買い物客のチップ目当てのポーター青年が殺人事件に巻き込まれるサスペンス映画だけど、いやー、スペイン語がよく分からんのに面白かった!
いや、スペイン語が分かる人でも字幕を読まなければ分からない全編グアラニー語溢れるご当地映画だから、スペイン語が分かる分からないは関係無いか。

なにが面白かったって、パラグアイの風俗というかメルカド・クアトロ当たりの風俗がよく出ていたので、非常に親近感というかリアリティ溢れる感じで良かった。
映画サイトのトップページ
見たことあるメルカドのごちゃごちゃ感というか、猥雑な雰囲気がよく出ていて、しっかり引ったくりの小悪い奴らも絡んでるし、メルカドのウラの部分も描かれていた。

日曜日や夜間のメルカドを使って撮影したというが、荷車の追跡劇や荷台での銃撃戦や攻防、グループ間や警察を巻き込んでのスリル溢れる展開は、映像だけでも楽しめる。
おまけにギャグやラブストーリーまで盛り込んであり、映画好きな主人公の設定といい、音楽のパラグアイらしいユニークな響きなど、映画全体がパラグアイを知る人にはたまらん感じだった。
ーーーーー
もし言葉がよく分かれば、もっともっと楽しめるだろう。
グアラニー語が分かる人には・・つまりパラグアイ人にはほんとに嬉しくなる映画に違いない。

警官もリアルだった(メイキング画像から)
それを裏付けるように興行成績も人口600万のパラグアイで、最初の週だけで動員3万人、3週目には8万人などど報道されていて日本だと100万人規模に匹敵する大ヒットだ。

最近の報道(下のリンク)では公開後2週間で10万人となっている。
http://www.ultimahora.com/notas/559252-7-Cajas-de-exportacion

我々が行ったビジャモラ・ショッピング内のちょっとしたシネコン「ビジャモラ・シネセンター」でも人気があるので、6部屋中2部屋を使って上映を行っていたが、毎回まだまだ行列が出来ていた。

今やバットマンでさえ1部屋上映で1日4回だが、7 cajasは2部屋で1日19回上映!
バットマンが最盛期でも閑散としていたのに比べ、7 cajasは人々が並ぶほど満員だ。
ーーーーー
出演はヒーローにトバティ出身という青年、ヒロインは弁護士でもあるというアスンシオンの女性だという。
7 cajasの一場面。主人公と肉屋
ほんとにいそうな顔つきで、ぴったりの配役だと思った。
確認した訳では無いが、出演者も製作者もきっと全員パラグアイ人に違いない。

監督がJuan Carlos ManegliaとTana Schémborという男女のダブルネームになっているのが不思議だが、何があってもおかしくないパラグアイ。独自の映画製作スタイルを取ったのかもしれない。

その後の報道によるとベネチアやトロントなど世界各地の映画祭に出展され、なんらかの受賞もあったということなので、おそらくパラグアイで始めての成功した映画ということになる。

以前に一度パラグアイ映画を見たが、なんだか中途半端にドキュメンタリータッチの小難しい映画に仕上がっていたことを思うと、この作品はエンターテイメント色が強く世界中で受け入れられ易い。
まったくパラグアイを知らない人がこの映画を見てどう感じるのか、今のボクにはもう判断できないが、受賞という事実を考えるとそういうことなんだろう。
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グアラニー語が分かれば、いろいろ貼ってあった伏線も分かってより楽しめるに違いない。
機会があれば、パラグアイの友人の説明を聞いてから、もう一度見に行きたい。
だって、ハリウッド映画と違って日本に帰ってしまうと二度と見られないかもしれないから。

2012年9月7日金曜日

春は記念日ラッシュ/Aniversarios de Primavera

こどもの日の8月。学校に上がったコイノボリ
9月になった。
2年前に、パラグアイにやって来た月だ。

振り返ってこの8月のアスンシオンは、設立475周年行事に加え、春の記念日も加わり、ちょっとしたイベント・ラッシュだった。
ボクはあまり行かなかったので、その中で実際に見たものだけ記録しておこう。
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8月16日は、パラグアイの子供の日だった。
日本では当然のように5月5日だが、こちらでは夏が長いので、8月ながら春の心地良い日という点で季節感覚が似ている。

その日はテレビでも子供のニュース中心で、アスンシオンでも子供向けの凧揚げやサーカスや音楽イベントが公園や広場も駆使して行われていた。

三国戦争時の子供兵
ところでなぜ8月16日になったのか職場で同僚に聞いてみたら、かつての3国戦争で国中の男達が戦争に向かった時に子供達まで戦場へと狩り出され、ブラジル国境近くで命乞いをする母親達と共に大虐殺された日だと言う。
・・・悲惨な歴史があるのだ。

日本の子供の日とは、歴史がずいぶん違う。
日本の子供の日はもともと「端午の節句」だから中国から伝来して、武家人形を飾る所を見ると江戸時代に定着したものだろう。

でも世界的に見ると、パラグアイとも違い1925年に制定された6月1日が主だと言う。

ボクは子供の日とは関係無い大人なのでニュースで見るだけの日となったが、学校では帰国した同僚が送って来た「こいのぼり」が晴天の風に舞った。
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ボクらがオープニングイベントになった
18〜19日にはアニメフェスのステージで歌わせてもらえ嬉しいひと時を過ごした。
実行委員会のメンバーはみな優しげで、日本のこのようなイベントはどんなメンバーが推進しているのか知らないが、パラグアイのアニメ愛好家達は心優しい人が多いようだ。

事務所を訪れた際にも、歩いて来て汗だくのボクに冷たい水を持って来てくれたり、ボクらの友達用にとチケットを用意してくれたりと細やかな気配りを感じて、日本同様の配慮の文化を感じた。

会場となったアスンシオン大学となりの施設は、緑の芝生が目に鮮やかな広くゆったりとしたいい雰囲気の空間だった。
今ボクらが歌ってるのはカントリーブルース系だから、曲とも合ってとても気持よく歌えた。
アニメには関係無い曲ばかりだけど、日本人と言うだけでアニメに関係あるように捉えてもらえるので助かる。
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Folkloreの日。学生の伝統的なダンスや劇が行われた
そして、8月22日にはfolkloreの日のイベントが学校で行われた。
生徒主催で、伝統的なパラグアイのチパやベジュといった軽食やコシード等の飲み物が振る舞われたり、ニャンデュティやアオポイ、昔の田舎の麦わら帽子ファッション等の民俗衣装等が展示され、舞台では劇あり歌ありダンスありで、午前中いっぱい楽しい時間を過ごした。

それに先立つ18日には、ウルグアイ公園やセントロの広場などで、民族的なダンスやサルサなどのダンスや音楽イベントが市役所主催で開催されていたようだ。
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ジャズを演奏する警察音楽隊
8月最後25日の土曜日には、セントロの広場で警察の音楽隊が演奏していたので出掛けた。
もちろんアルパ等の民族音楽からフルオーケストラの演奏、ビッグバンド形式でジャズまで演奏されて、これも楽しかった。
周辺では警察にまつわる展示もされていたようで、幹部クラスの立派な警察官やSWAP部隊のような人達まで大勢いた。
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8月26日の日曜日にはアスンシオン・マラソン大会も行われ、フェデリコ大統領も10kmコースを走ると意気込んでいたが、足をケガしたとかで走る事は無かった。

8月が終わり、イベントの季節が終わって、いよいよラストスパート。
真価が問われる時期となった。