2011年が終わります。
なんだか悲しい気分になる。
2012年に向かって行くぞ!
写真は湖美術館(Centro Cultural del Lago)にあった人形。
今、パラグアイなのに石川さゆりさんがテレビで歌ってます。
小田晃孝
北海道・札幌
雑誌編集やグラフィック&パッケージデザイン、
イラストレーションなどを生業としています。
記録がわりのブログなので脈絡なく書きます。
Estoy estudiando español.
2011年12月31日土曜日
2011年12月28日水曜日
ネコ貯金箱/Hucha Forma Gato
学校が夏休みに入り生徒が来なくなったので、木工クラスに行ってネコ貯金箱を作った。
初めて作った割にはよくできたと思ったが、よく考えてみたらボクが機械を扱い慣れて無いので、Miguel先生が要所を締めてくれたので、こんなにうまくできたんだと今は分かる。
さて、この貯金箱、顔の部分は2種類の木を使い分けて貼り合わせ、塗りでは無く質感でかわいい顔にした。
塗料は一切使っていないから、質が劣化するかもしれないけれど、この木の感触が好きだ。
シッポは可動式になっていて、左右に振る事ができる。
中に重りが入れてあるので、下に垂れる事は無く、いつも上を向いている。
うしろ姿がかわいいのはネコの特徴だが、この貯金箱もこのシッポのおかげでなかなか可愛い。
コインを入れる穴の板ははめ込み式にしてあるので、外してコインを取り出す事もできるが、きっちりはまっているので、普段は全く見えない。
よくできてるなぁ。
いっぱい作って売りたいくらいだ。
Miguel先生ありがとう。
※ささやかなお礼にビールを贈ったが、居ない時に机の上に置いておいたので、受け取ってくれたかなぁ。
初めて作った割にはよくできたと思ったが、よく考えてみたらボクが機械を扱い慣れて無いので、Miguel先生が要所を締めてくれたので、こんなにうまくできたんだと今は分かる。
さて、この貯金箱、顔の部分は2種類の木を使い分けて貼り合わせ、塗りでは無く質感でかわいい顔にした。
塗料は一切使っていないから、質が劣化するかもしれないけれど、この木の感触が好きだ。
シッポは可動式になっていて、左右に振る事ができる。
中に重りが入れてあるので、下に垂れる事は無く、いつも上を向いている。
うしろ姿がかわいいのはネコの特徴だが、この貯金箱もこのシッポのおかげでなかなか可愛い。
コインを入れる穴の板ははめ込み式にしてあるので、外してコインを取り出す事もできるが、きっちりはまっているので、普段は全く見えない。
よくできてるなぁ。
いっぱい作って売りたいくらいだ。
Miguel先生ありがとう。
※ささやかなお礼にビールを贈ったが、居ない時に机の上に置いておいたので、受け取ってくれたかなぁ。
2011年12月19日月曜日
卒業式を終えて/Después de la ceremonia de graduación
Artes Gáficasの生徒が代表してスピーチ |
なぜか習慣で夜行われるのですが、照明が栄えてなかなか盛り上がります。
Artes Gráficasの生徒のスピーチも、ボクには内容がよく分かりませんが、感動ものでした。
ボクのデザインしたモニュメントも華やかに紹介してもらえ、なかなか注目を集めて、学生達の記念撮影スポット化しているのを見ていると、嬉しくなってしまいました。
モニュメントは記念撮影スポットに |
その後、年末ということもあって最後のPuerto Abiertoに行ったり、同僚や友人とのまぁ忘年会みたいなものがあったりと忙しく過ごしましたが、いよいよ夏休みに突入です。
でもゆっくりしているヒマは無く、師走だけあって何もかもがバタバタと忙しい感じです。
中途半端なままになっていることを片付けたり、業務費の精算をしたり、いろんな人に連絡したりなど、したいことしなければならないことも多いのですが、なかなかできないまま今日を迎えています。
ボクらの生徒の一人が旗手に |
さらに!
それと相前後して住む部屋が「ダニ」に襲われ、体中痒くなってブツブツができて、あまりにもひどくなったので、忙しい合間を縫って医者に行ったり、部屋を殺虫剤で消毒して、一時的に引っ越したりと目の回る日々でした。
さらにさらに!
急にキャッシュカードまで使えなくなり、焦って銀行に電話したらカードは問題無いと言われ、またATMに行ったらやっぱり使えなかったり、追い打ちのように問題が起こって今もまだ使えず、不便をしています。
開会前の夕方(といっても7時ころ)の風景 |
すぐに娘がパラグアイに来るので、サンパウロまで迎えに行く予定だし、ダニ問題を片付けなければならないし、全然時間がありません。
ーーーーー
ということで、このブログも書いてるヒマがありません。
今日はここまでで失礼します。
2011年12月13日火曜日
開港イベント/Puerto Abierto de Asunción
アスンシオン港の開放イベント。まだ早い時間 |
今は車と飛行機が主なのであまり賑わいは無く、河の観光船と他岸へ渡る船の駅の役割を残しているだけだ。
その観光船もあまり使われていないようで、港に行けばいつも係留されている。
その港で、開港イベントが毎週土曜に開かれているという情報を聞き付け、数週間前から毎週行っていた。
手作りの食品、服飾、絵画、アクセサリー、開運グッズ屋まで、10数店舗が屋台を連ねて、ライブも開かれている。
ヨガ教室も開かれていたことがあった。
港は夕景が美しい |
だから度胸試しにと、僕たちも参加し続けている。
あ、それから最近全然見かけなかった路上アルテサニアのイルー達に会えるという、楽しみもある。
聞けば主な拠点にしていた、最も観光客などが多くてにぎやかなパロマ通りを、警察なんかに追い出されてあちこちをさまよっているらしい。
おまけに、夏が来てまだ1歳の息子であるルーカスのために暑さを避けなければいけないので、路上もキツくなって来ているのだ。
この港の建物は涼しいし、好都合だ。
そのせいか先週はすいぶん路上アルテサニアが増えていた。
先々週もその前も5人位だったのに、8〜9組もいた。
来週は最終日だから、もっと増えるだろう。
自由参加の音楽ライブ。この日は客がまばら |
また来年までさようならだ。
この場所ではいろんな出会いもあった。
イルーはもちろん、音楽仲間も数人できたし、先週は合気道一家のロベルトさんと知り合って愉快な「満月パーティ」にも招かれた。
パロマ通りで歌ってたら若者が仲間入り |
もっと早く知っていたら、もっと大勢の方々と知り合えてたのになぁと思うと残念でならないけれど、残りの時間を大事に過ごしたいと思う。
2011年12月8日木曜日
カアクペの日/Dia de Virgen de Caacupé
一面でカアクペへの行列を伝える新聞 |
ボクはおかげで学校が休みです。
もっとも小学校なんかはもう休みに入っているので、明日も来週も行くのはこちらでは学校としてはイレギュラーなのかもしれません。
パラグアイ全土から信仰深い人々が集まりますが、なんと何日も掛けて歩いて来る人々も多いのは驚きです。
アスンシオンでも、昨日から教会のあるカアクペ市目指して約55kmという距離を巡礼のため歩いて行く長蛇の列が続きました。
ボクも誘われたのですが、坂道が予想以上にきついし、人が多くて止めた方がいいという人もいて、「宗教儀式だからなー」と行くのを止めました。
中でも大きく報じています。 |
ただ、音楽やコーラスが多く、ポコポコとタイコのリズムが聞こえるのは、南米らしい感じです。
テレビの地元局は、朝はどのチャンネルもその模様を放送していました。
新聞もカアクペ一色です。
明日の朝刊は式典の様子が載るでしょうが、今日の新聞は昨日から始まった巡礼の行列や、式典の準備の様子が紹介されていました。
ーーーーー
しかし、当たり前ですが、会場が日本で日本語の看板がバックにあるのに、スペイン語での放送なので、外国の試合を見ているようです。
14日には南米代表のブラジルのクラブチーム・サントスが日本で試合します。
サントスは、ボクがパラグアイで応援しているセロ・ポルテーニョが惜しくも破れた相手です。
妥当な結果なんですが、セロに日本に行って欲しかったと今も思います。
柏レイソル勝利の雄叫び |
妥当に行けばこの2チームが少し空いた18日の決勝へ進み、日本でネイマール対メッシが観られ、世界一のクラブチームが決定するはずです。
ところで、日本での盛り上がりはどうなんだろうなぁ。
ボクは日本に居るときは、あんまりサッカーに興味が無かったので、日本での盛り上がり具合が想像できません。
そしてこれを書いてる最中に、柏レイソルが2対0で勝ちました。
前半の勝ち点を守った格好ですが、お互いにフェアプレーでいい試合でした。
オークランドシティもアウェイで慣れていない中、いいプレイを見せてくれました。
結果の表示は英語です。 |
サッカーではあり得ない話しでは無いので、少し期待して観ることにします。
ーーーーー
さて、今日は少し買い物に出掛けなければならないので、この辺で。
少し暑さはましですが、昨日睡眠不足なので、あまり出掛けたく無い感じだけど、家賃を降ろしに両替屋に行かなきゃない用事もあるし、がんばって行ってきます。
ではまた。
追伸
12月8日はジョン・レノンの命日でもありました。
imagenで戦争の無い世界を歌っていたけれど、それはいつごろになるんだろう。
30年くらいでなれないかな?
ラベル:
カアクペ,
クラブワールドカップ,
サッカー
2011年12月4日日曜日
理不尽なコンチネンタル航空/Continental Airlines Irrazonable
コンチネンタル航空でとても理不尽な思いをしたので、その記録を書いておこうと思う。
とてもイヤな屁理屈を並べられて、苦しく腹立たしい思いをしたから。
ーーーーー
ことの発端は、娘をパラグアイに呼び寄せようとしたことからだった。
費用は少し掛かるけれども、JICAにはそういう制度もあるし、娘がどうしても一度どんな所か見ておきたいと言ったからだ。
しかし、娘は15歳といっても幼さが残るほうで、海外どころか国内も一人旅などしたことがない。
しかもなにか困ったことがあると何も考えられなくなり、泣き出してパニックになるタイプだ。
だから、「どうしても行きたい」と言われて戸惑った。
いろいろな手段を調べながら手配に入り、欧州周りならアメリカよりもトランジットが楽だと聞いたのでかすかな望みで要望したが・・JICA指定経路はコンチネンタル航空でアメリカ・ヒューストン経由だった・・。
ーーーーーー
その後、JICA指定の旅行会社とやりとりしたら、なんとコンチネンタル航空には「一人旅サービス」があると教えてくれた。
常に航空会社の職員が付いてくれて、送り届けてくれるサービスだ。
99ドルと有料だが、ありがたい。安全を考えれば安いものだ。
さっそく申し込みを表明したが、成田ーサンパウロ間のコンチネンタル航空区間のみの利用に限定されており、前後を迎えに行かないと利用できないと言われた。
そこで、本来JICAシニアボランティアはサンパウロにトランジット以外では行けないことになっているけれど、事情を説明して無理を言って「空港から出ない」という条件付きでJICAに認めてもらった。
喜び勇んで、すぐに「札幌〜成田」往復の母親が"送る"ためのチケット、こちらも「サンパウロ〜アスンシオン」往復の"迎え"のためのチケットを手配した。
全部で日本円で10万円以上掛かり痛かったが、サービスを受けるためには仕方が無い。
ここまで苦労して「さあ条件が整ったぞ」と、改めてサービスを申し込んだ。
ところが・・・コンチネンタル航空がダメだと言っていると旅行会社が言う。
「え?」
すべての条件を整えたし、ホームページの記載を細かく見ても何の問題も無い。
既に一人旅サービスを見越してかなり出費しているし、子供も心づもりをしている。
「今更なぜ?」
理解できないので、コンチネンタル航空の東京事務所に時差を考慮して眠い中、夜中に電話した。
すると電話に出た担当者は「利用できます」と言う。
「なんだやっぱりできるじゃないか」と一安心して、すぐに旅行会社に電話した。
ーーーーー
ところがしばらくして、また「利用できません」とのメール。
すぐに電話して納得できないことを伝えると、コンチネンタルの担当者から直接電話させるというのでまた待った。
すると数日後に営業担当者から電話があり、こちらの言い分だけ聞いて、少し調べるから待ってくれという。
待たされてばかりだ・・。
ところが1週間待っても何の連絡も無いので、どうなっているのかとこちらから問い合わせたら、コンチネンタルの担当者から、待たせたことには何の詫びも無く、またただ「利用できません」のメールが入った。
「・・・?」
理由が分からないのと納得できないのとで、また電話サービスの「利用できる」と言った担当者に電話したら、今度は「利用できません」との返事。
「それはおかしい、理由を聞かせて欲しい」というと、「規則ですから」と言う。
「規則ですから」は理由にならないと言っても、ただ「規則ですから」を繰り返すばかり・・。
もし規則だとしても、どういう規則に引っ掛かるのか、いやその規則はどこに書かれているのか?
客に見えない規則を振りかざすこと自体おかしい。
それに一度肯定した責任は、どこにいったのか。
その後も営業担当者に質問を投げ掛けたが、返事をすると言った期限に返事が無かったり、出費もしているし、精神的にも参ったし、理由も示さない理不尽さ、それに期限以上に待たせたことへの謝罪の無さなど、あまりにもひどい人間としても問題ある対応に、ボクはもう泣きたくなったし、コンチネンタル航空という会社や期待した営業担当者にかなりがっかりもした。
話していて、少しはましな人のように思ったのになぁ。
ほんとにがっかりしてショックだった。
人間不信になる・・。
とにかく、散々待たしての「安全のため利用できません」などと、訳の分からない理由の書かれたメールを見て相当に落胆した。
ーーーーー
仕方無いので、コンチネンタル航空の利用をあきらめて、アメリカの空港でのアテンドサービスがあるというデルタ航空に切り替えようとしたが、今度はJICA本部がダメだと言う。
差額を払ってもダメだという。
これも理由が全く分からないが、「規則」なんだそうだ。
「あ〜また"規則"か・・」
いったい、なんのために規則はあるんだろう?
なぜ、表記していない内部だけの規則を振りかざせるのだろう?
こうした「規則」だけを振りかざす担当者には、感情も理屈を考える余裕も無いのだろうか?
いやいや組織として問題があるんだろうか?
考えない担当者を良しとして、イエスとしか言わない社員を育てているんだろうか?
サービス業には自主的な「おもてなしの心」が重要で、それが評判を良くし利益にもつながり、社員の誇りにもなることは、あのリッツカールトンで示されて有名になったのに、なんにも情報を見てないんだろうか。
内部だけを見ている会社・・上だけを見て保身だけを考えている社員・・そんな社風が目に浮かぶ。
そんな会社だとしたら、肝心の安全は大丈夫だろうかと不安になる。
ただただ残念な気持と疑問だけが残り、待たされたことで期限が迫り、すべてがキャンセル代が大量に発生する期日を迎え、キャンセルもできなくなってしまった。
ーーーーー
この・・なんというか・・理不尽なできごとを救う方法は無いのだろうか?
消費者センターやこういったことが専門の弁護士さんは、どんな風に考えるだろうか?
聞いてみたいが、今は残念な気分に埋もれていて放心状態で、そんな気分にもなれない。
放心状態を脱することができれば、またいろいろ動いてみよう。
今はただ、こうしてブログに書くことが精一杯です・・・。
日本の支社がおかしいのかもしれないけれど、みなさんもコンチネンタル航空の利用は気を付けて。
なにかユナイテッドとの合併騒ぎなのかどうか、杓子定規で投げやりな対応に士気が相当低下している印象を受けました。
安全だけはそんな中でもなんとか守り通してくれと、今は願うしか無い・・。
とてもイヤな屁理屈を並べられて、苦しく腹立たしい思いをしたから。
ーーーーー
夜のアスンシオン空港 (Silvio Pettirossi) |
費用は少し掛かるけれども、JICAにはそういう制度もあるし、娘がどうしても一度どんな所か見ておきたいと言ったからだ。
しかし、娘は15歳といっても幼さが残るほうで、海外どころか国内も一人旅などしたことがない。
しかもなにか困ったことがあると何も考えられなくなり、泣き出してパニックになるタイプだ。
だから、「どうしても行きたい」と言われて戸惑った。
いろいろな手段を調べながら手配に入り、欧州周りならアメリカよりもトランジットが楽だと聞いたのでかすかな望みで要望したが・・JICA指定経路はコンチネンタル航空でアメリカ・ヒューストン経由だった・・。
ーーーーーー
その後、JICA指定の旅行会社とやりとりしたら、なんとコンチネンタル航空には「一人旅サービス」があると教えてくれた。
常に航空会社の職員が付いてくれて、送り届けてくれるサービスだ。
99ドルと有料だが、ありがたい。安全を考えれば安いものだ。
さっそく申し込みを表明したが、成田ーサンパウロ間のコンチネンタル航空区間のみの利用に限定されており、前後を迎えに行かないと利用できないと言われた。
ブラジル、サンパウロ空港 (Guarulhos) |
喜び勇んで、すぐに「札幌〜成田」往復の母親が"送る"ためのチケット、こちらも「サンパウロ〜アスンシオン」往復の"迎え"のためのチケットを手配した。
全部で日本円で10万円以上掛かり痛かったが、サービスを受けるためには仕方が無い。
ここまで苦労して「さあ条件が整ったぞ」と、改めてサービスを申し込んだ。
ところが・・・コンチネンタル航空がダメだと言っていると旅行会社が言う。
「え?」
すべての条件を整えたし、ホームページの記載を細かく見ても何の問題も無い。
既に一人旅サービスを見越してかなり出費しているし、子供も心づもりをしている。
「今更なぜ?」
理解できないので、コンチネンタル航空の東京事務所に時差を考慮して眠い中、夜中に電話した。
すると電話に出た担当者は「利用できます」と言う。
「なんだやっぱりできるじゃないか」と一安心して、すぐに旅行会社に電話した。
ーーーーー
ホテルの19階から見たアスンシオン |
すぐに電話して納得できないことを伝えると、コンチネンタルの担当者から直接電話させるというのでまた待った。
すると数日後に営業担当者から電話があり、こちらの言い分だけ聞いて、少し調べるから待ってくれという。
待たされてばかりだ・・。
ところが1週間待っても何の連絡も無いので、どうなっているのかとこちらから問い合わせたら、コンチネンタルの担当者から、待たせたことには何の詫びも無く、またただ「利用できません」のメールが入った。
「・・・?」
理由が分からないのと納得できないのとで、また電話サービスの「利用できる」と言った担当者に電話したら、今度は「利用できません」との返事。
「それはおかしい、理由を聞かせて欲しい」というと、「規則ですから」と言う。
「規則ですから」は理由にならないと言っても、ただ「規則ですから」を繰り返すばかり・・。
もし規則だとしても、どういう規則に引っ掛かるのか、いやその規則はどこに書かれているのか?
客に見えない規則を振りかざすこと自体おかしい。
それに一度肯定した責任は、どこにいったのか。
その後も営業担当者に質問を投げ掛けたが、返事をすると言った期限に返事が無かったり、出費もしているし、精神的にも参ったし、理由も示さない理不尽さ、それに期限以上に待たせたことへの謝罪の無さなど、あまりにもひどい人間としても問題ある対応に、ボクはもう泣きたくなったし、コンチネンタル航空という会社や期待した営業担当者にかなりがっかりもした。
話していて、少しはましな人のように思ったのになぁ。
ほんとにがっかりしてショックだった。
人間不信になる・・。
とにかく、散々待たしての「安全のため利用できません」などと、訳の分からない理由の書かれたメールを見て相当に落胆した。
ーーーーー
部屋から見たアスンシオンの朝焼 |
差額を払ってもダメだという。
これも理由が全く分からないが、「規則」なんだそうだ。
「あ〜また"規則"か・・」
いったい、なんのために規則はあるんだろう?
なぜ、表記していない内部だけの規則を振りかざせるのだろう?
こうした「規則」だけを振りかざす担当者には、感情も理屈を考える余裕も無いのだろうか?
いやいや組織として問題があるんだろうか?
考えない担当者を良しとして、イエスとしか言わない社員を育てているんだろうか?
サービス業には自主的な「おもてなしの心」が重要で、それが評判を良くし利益にもつながり、社員の誇りにもなることは、あのリッツカールトンで示されて有名になったのに、なんにも情報を見てないんだろうか。
内部だけを見ている会社・・上だけを見て保身だけを考えている社員・・そんな社風が目に浮かぶ。
そんな会社だとしたら、肝心の安全は大丈夫だろうかと不安になる。
ただただ残念な気持と疑問だけが残り、待たされたことで期限が迫り、すべてがキャンセル代が大量に発生する期日を迎え、キャンセルもできなくなってしまった。
ーーーーー
この・・なんというか・・理不尽なできごとを救う方法は無いのだろうか?
消費者センターやこういったことが専門の弁護士さんは、どんな風に考えるだろうか?
聞いてみたいが、今は残念な気分に埋もれていて放心状態で、そんな気分にもなれない。
放心状態を脱することができれば、またいろいろ動いてみよう。
今はただ、こうしてブログに書くことが精一杯です・・・。
日本の支社がおかしいのかもしれないけれど、みなさんもコンチネンタル航空の利用は気を付けて。
なにかユナイテッドとの合併騒ぎなのかどうか、杓子定規で投げやりな対応に士気が相当低下している印象を受けました。
安全だけはそんな中でもなんとか守り通してくれと、今は願うしか無い・・。
2011年11月26日土曜日
ウルグアイ公園の子供達/Niños en la plaza Urguaya
そうだ。
写真は無いけれど、先週の楽しかった話を書いておこう。
ーーーーー
Bar904のブルースライブを見に行った帰り、地元の若者達に声を掛けられて、飲みに行くことになった。
そして近くの屋台でわいわいと飲んでいたが、店員がもう終う時間だというので、じゃあ場所を移そうよということになった。
もう夜中だったので、すっかり閉まってしまった街をほろ酔い加減で歩くことしばし。
着いたのはウルグアイ公園だった!
ちらっと「ウルグアイ公園は危険だよ」と言っていた誰かの言葉を思い出したが、地元の真面目そうな若者3人と一緒だからなと、露店に腰を落ち着けた。
ーーーーー
そして結果的に大正解だった。
いつか話してみたいと思っていた公園に住む家の無いインディヘナの子供達が、僕らの歌声に誘われて集まって来て、一緒に歌えて楽しい時間を過ごせたからだ。
やっぱり子供は子供だと思った。
屈託の無い笑顔を見ていると、幸せな気分になった。
この子達はもしかしたら昼間、ちょっとしたかっぱらいや金乞いをして暮らしているかもしれないと思うと少し悲しい気持にもなったが、一緒に歌っているととても楽しそうで、キャッキャとテーブルを叩いてリズムに乗ってくれた。
ありがとう。楽しい時間。
なんだか、かけがえの無い時間だと勝手に思っていた。
もしボクにもう少しお金があったなら、楽器を人数分買って来て子供達にプレゼントしたい。
サックスやトランペット、ハーモニカといった吹奏楽器、ジャンベやタムタムみたいな打楽器や、ギターやベースなどの弦楽器・・etc. etc・・。
それはもしかしたらすぐ親にお金に変えられるかもしれないけれど、中には親も認めて音楽が好きになって続けてくれる子もいるかもしれない。
たまに楽器のある音楽教室に招くことができれば、かっぱらいじゃなく音楽で稼ぐ事を覚え、素敵な音楽家が産まれるかもしれない。
ジャズなんかは、そんな音楽家がいなかったっけ。
ーーーーー
集まって来たときはアジア系の顔をしていて、崩れた服装や態度、それに子供なのにタバコを吹かせているから悪そうなガキ達だなと思ったけれど、音楽の前ではただの素の子供に成ってくれていた。
最後は笑顔のハイタッチで別れたけれど、また会う事ができればいいなと思った夜だった。
写真は無いけれど、先週の楽しかった話を書いておこう。
ーーーーー
写真は近所の珍しく愛想いい牛乳屋さん |
そして近くの屋台でわいわいと飲んでいたが、店員がもう終う時間だというので、じゃあ場所を移そうよということになった。
もう夜中だったので、すっかり閉まってしまった街をほろ酔い加減で歩くことしばし。
着いたのはウルグアイ公園だった!
ちらっと「ウルグアイ公園は危険だよ」と言っていた誰かの言葉を思い出したが、地元の真面目そうな若者3人と一緒だからなと、露店に腰を落ち着けた。
ーーーーー
そして結果的に大正解だった。
いつか話してみたいと思っていた公園に住む家の無いインディヘナの子供達が、僕らの歌声に誘われて集まって来て、一緒に歌えて楽しい時間を過ごせたからだ。
屈託の無い笑顔を見ていると、幸せな気分になった。
やはり近所の中華街 |
ありがとう。楽しい時間。
なんだか、かけがえの無い時間だと勝手に思っていた。
もしボクにもう少しお金があったなら、楽器を人数分買って来て子供達にプレゼントしたい。
サックスやトランペット、ハーモニカといった吹奏楽器、ジャンベやタムタムみたいな打楽器や、ギターやベースなどの弦楽器・・etc. etc・・。
それはもしかしたらすぐ親にお金に変えられるかもしれないけれど、中には親も認めて音楽が好きになって続けてくれる子もいるかもしれない。
メルカド4の黄色い現金輸送車 |
ジャズなんかは、そんな音楽家がいなかったっけ。
ーーーーー
集まって来たときはアジア系の顔をしていて、崩れた服装や態度、それに子供なのにタバコを吹かせているから悪そうなガキ達だなと思ったけれど、音楽の前ではただの素の子供に成ってくれていた。
最後は笑顔のハイタッチで別れたけれど、また会う事ができればいいなと思った夜だった。
2011年11月19日土曜日
記念オブジェ完成/Se ha acabado la monumento.
ボクのデザインした木と鉄とブロンズ製のモニュメントが・・まだプレートはできていないけれど少しずつ出来て来ていたモニュメントが・・一応の完成を見た。
パチパチ・・。
最初のスケッチからずいぶん掛かった割に最後は駆け足だったけれど、まぁできたのでよしとしよう。
出来上がりは決して満足できる品質では無いが、デザインや図面以外、自分ではなにもできなくてお任せだったから、今の立場ではよくできたというべきだろう。
さっそく写真を撮ったが、きれいな銘板プレートをはめ込んだ暁には、もっと見栄えがするはずだ。
校長先生は、卒業式の際には下からスポット照明を当てようと提案してくれた。
しかし、何はともあれ約束の卒業式までに出来て良かった。
卒業式は12月中旬だが、授業は実質11月中なので、ギリギリ間に合った格好だ。
でも銘板は月をまたぎそうだなぁ。
ーーーーー
少し説明すると、ベースは五角形にした。
五角形は、黄金比を持つ図形として知られるし、五大陸を表すことができるのでバランスした平和な世界を表現したつもりだ。
そして、世界の上に立つ鉄の部分はパラグアイの楽器アルパの形をしていて、パラグアイを象徴した。
そこにぶらさがっているブロンズパイプはアルパの弦を表現しているが、中に鉄製の重りが入っていて風の強い日には音が鳴る仕組みになっている。
音はドミソドのメジャーな和音が鳴るように設計上は長さを調整したが、実際の作業で長さが少し変形されてしまったので、ちゃんと和音も出ないし、せっかくブロンズパイプを自前で買って提供したのに、中の重りはありあわせの材料を使ったらしく、大きすぎるし形も悪いので、いい音で鳴らないのが少し残念だ。
その鉄のプレートは2枚あるが、もたれあっている形にして日本とパラグアイの二国の親交や友情を表現した。
上に乗った木の部分は、昇竜のように未来へのめでたさと幸運の象徴として、日本の「こいのぼり」を表したつもり。
この木の形も、ありあわせの材料を使うべく変化してできて来てしまったので、あまりダイナミックな形にはならなかったが、なんとなく雰囲気は出ていると思う。
なにはともあれ、充分に言葉も分からない中よく出来たものだと思う。
もう意思の力しかなかった。
どんな作品にせよ、いい記念になった。
またここに来ることがあれば、見ることができると思うと、足跡を残した心境だ。
協力してくれた先生方に感謝したい。
パチパチ・・。
最初のスケッチからずいぶん掛かった割に最後は駆け足だったけれど、まぁできたのでよしとしよう。
出来上がりは決して満足できる品質では無いが、デザインや図面以外、自分ではなにもできなくてお任せだったから、今の立場ではよくできたというべきだろう。
さっそく写真を撮ったが、きれいな銘板プレートをはめ込んだ暁には、もっと見栄えがするはずだ。
校長先生は、卒業式の際には下からスポット照明を当てようと提案してくれた。
しかし、何はともあれ約束の卒業式までに出来て良かった。
卒業式は12月中旬だが、授業は実質11月中なので、ギリギリ間に合った格好だ。
でも銘板は月をまたぎそうだなぁ。
ーーーーー
少し説明すると、ベースは五角形にした。
五角形は、黄金比を持つ図形として知られるし、五大陸を表すことができるのでバランスした平和な世界を表現したつもりだ。
樹々に囲まれたモニュメント |
そこにぶらさがっているブロンズパイプはアルパの弦を表現しているが、中に鉄製の重りが入っていて風の強い日には音が鳴る仕組みになっている。
音はドミソドのメジャーな和音が鳴るように設計上は長さを調整したが、実際の作業で長さが少し変形されてしまったので、ちゃんと和音も出ないし、せっかくブロンズパイプを自前で買って提供したのに、中の重りはありあわせの材料を使ったらしく、大きすぎるし形も悪いので、いい音で鳴らないのが少し残念だ。
その鉄のプレートは2枚あるが、もたれあっている形にして日本とパラグアイの二国の親交や友情を表現した。
オブジェ越しに青空を見上げる |
この木の形も、ありあわせの材料を使うべく変化してできて来てしまったので、あまりダイナミックな形にはならなかったが、なんとなく雰囲気は出ていると思う。
なにはともあれ、充分に言葉も分からない中よく出来たものだと思う。
もう意思の力しかなかった。
どんな作品にせよ、いい記念になった。
またここに来ることがあれば、見ることができると思うと、足跡を残した心境だ。
協力してくれた先生方に感謝したい。
2011年11月13日日曜日
無事に終了/La Presentación terminó
発表会は少し笑いも取れ、無事に終了した。
ただの小さな発表会だけど、慣れないボクは少し準備に苦労した。
しかし仕事の手も止めないで平行してやれたのは、良かった。
スペイン語も充分に通じたらしく、「いい発表だった」ってみんなに言ってもらえた。
ただ・・質問されたのに、そのスペイン語は分からなかった。
ハードに勉強しなきゃなと思った。
やることが多くなって来て、現実にはなかなかできないけどな。
ーーーーー
発表は朝だったが、その日の昼食は少し豪勢に食べ、手伝ってもらった同僚とビールを飲んで笑いあった。
今後の話もいろいろ出たが、帰るまでに全部できるかどうか分からない。
やっと仕事になって来たので、できるだけやって帰ろうと思うけれど。
ーーーーー
その日の夜には久しぶりにCafé Bohemiaへ出掛けて、サルサのライブを聴いた。
しかしボクは眠くて眠くて仕方無かった。
眠気眼でみんなが踊るのを見ていると、ぼんやりと南米にいるのを実感した。
日本でも「踊る阿呆に見る阿呆」と言うから、踊ったもん勝ちなんだろうけれど、セクシーなおねえさん方や、ラテンなおっちゃんらがすごくうまく踊っているのを見ていると、どうしてもボクが混じって踊る勇気は出なかったな。
ボクにはやっぱりお馴染みプランタアルタの卓球選手権や、最近気に入ってるBar904のブルースライブがいい。
踊るとしてもKILKENNYあたりで古いアメリカンロックで踊って騒ぐのが関の山だ。
このサルサライブは、少しはステップを覚えたなら来よう。
ーーーーー
翌日、同僚の先生が生徒と一緒にChuppín de Polloという鶏肉料理を教室で作ってくれた。
ボクへのプレゼントだという。
昨日の昼食のおかえしなんだろうか。
いつも世話になってるのに全然いいのに。
いい人だなぁ。
明日からまた仕事がんばろ。
ただの小さな発表会だけど、慣れないボクは少し準備に苦労した。
しかし仕事の手も止めないで平行してやれたのは、良かった。
スペイン語も充分に通じたらしく、「いい発表だった」ってみんなに言ってもらえた。
ただ・・質問されたのに、そのスペイン語は分からなかった。
ハードに勉強しなきゃなと思った。
やることが多くなって来て、現実にはなかなかできないけどな。
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発表は朝だったが、その日の昼食は少し豪勢に食べ、手伝ってもらった同僚とビールを飲んで笑いあった。
色の組合せの説明をするボク |
やっと仕事になって来たので、できるだけやって帰ろうと思うけれど。
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その日の夜には久しぶりにCafé Bohemiaへ出掛けて、サルサのライブを聴いた。
しかしボクは眠くて眠くて仕方無かった。
眠気眼でみんなが踊るのを見ていると、ぼんやりと南米にいるのを実感した。
日本でも「踊る阿呆に見る阿呆」と言うから、踊ったもん勝ちなんだろうけれど、セクシーなおねえさん方や、ラテンなおっちゃんらがすごくうまく踊っているのを見ていると、どうしてもボクが混じって踊る勇気は出なかったな。
ボクにはやっぱりお馴染みプランタアルタの卓球選手権や、最近気に入ってるBar904のブルースライブがいい。
踊るとしてもKILKENNYあたりで古いアメリカンロックで踊って騒ぐのが関の山だ。
このサルサライブは、少しはステップを覚えたなら来よう。
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鶏肉料理を作成中のEscobar先生とRosio |
ボクへのプレゼントだという。
昨日の昼食のおかえしなんだろうか。
いつも世話になってるのに全然いいのに。
いい人だなぁ。
明日からまた仕事がんばろ。
2011年10月29日土曜日
中間発表会/Debriefing Sesión del Período Intermedio
勤務先の学校。まさにこの建物で働いている |
先生方みなさんお集りいただいて、JICAの人やら役所の人までやって来る。
何を話そうかな。
とりあえず1年間やって来たことを話し、これからの1年でやりたいことを話すのはいいとして・・プラス何を何を話そうか悩む。
学校風景に学校のマスコット犬を歩かせてみた |
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一番最近の仕事 |
やはりちゃんとガイドをするように、これから話すことをまず言って内容に入り、寝られないようにサプライズを用意して、最後に次につながる一言くらいは仕込んでおかないとダメなんだろうな。
とにもかくにも、早い目に作って一度練習することだ(これが普通はなかなかできない)。
でも、1年の活動振り返りの最後が職業訓練校のパンフレットになりそうなのは、いいタイミングだ。
あ、オブジェも完成間近だから写真を撮っておこう。
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一番の問題はスペイン語での発表ということだ。
今の語学力では、同僚の先生と共演の形にするしかないな・・。
2011年10月28日金曜日
芸術の街アレグア/Aregua, Ciudad de artesanías
カルチャーセンター兼ギャラリー |
アートの街だというので気になっていて、いつも通勤で通るEusebio Ayala通りを直通バスが走っているのを見ていたので、ある晴れた休日の土曜日、バスに乗って行ってみた。
後日、家具美術館にも行きたかったことを思い出したが、残念ながら当日は記憶からすっかり飛んでいた。
まぁ面白かったし近いので、また行けばいいか。
教会、湖美術館、ギャラリーをいくつか、海岸、駅跡、そしてお土産屋やレストランを回った。
観光案内所 |
その前に役所にも地図をもらいに行ったが、役に立ちそうも無い見にくいモノクロのコピーを渡されただけだったのもあって驚いたのだ。
連携ができてないな。
でもこの観光案内所、「存在に気付いた人が来ればいい」式で、土曜日なのに誰も訪れていなかったし、係の人もヒマそうに外を眺めていた。
立派な建物なのだが、もったいない。
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結婚式の行われていた教会 |
教会も立派で裏から回って行ったのだが、楽しげなラテンな歌声とギターの音色が中から聞こえて来たので覗いてみたら、ちょうど結婚式をやっていた。
新婚カップルが幸せいっぱいの表情で、日本よりくだけた服装ながら着飾った友人達ににぎやかに囲まれていた。
この教会は高台にあり見晴らしがいいので、気持ちも晴れる。
深呼吸して丘を下って海の方へ向かった。
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今回の訪問では湖文化センター(El Centro Cultural del Lago)が収穫だった。
そこそこ広い美術館なのになぜか見れない場所があったのが残念だが、地元の陶芸の新しいチャレンジや原住民インディヘナの芸術に触れることができ、スペインの映画上映もされていた。
上2枚:湖文化センター |
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レストランも楽しかった。
もちろん冷たいピールセン・ビールを飲んで、確かBife Coguaを食べた。
ウエイターが感じが良くて、庭もきれいで、気候も良かったので、すっかりいい気持ちだった。
湖文化エンターにあった陶像 |
きりっとしたなかなか精悍な顔つきの少年で、見ず知らずのボクにちゃんとした挨拶をしてきた。
服装など見ていると貧しそうだが、なんというか礼儀正しい立派な子供という印象を受けた。
湖岸ではボートがあいにくの強風に耐えるように陸揚げされていて、家族連れとアベックが心地良さそうに湖面を見ていた。
どこも波打ち際は心地いいもんだ。
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レストランを出てほろ酔い加減で陶芸中心のアルテサニアを見回っていたら、そろそろ帰る時間となり、店のにいちゃんにアスンシオンのセントロ行きの緑とグレーのバスを教えてもらって、メルカドクワトロ辺りまで帰って来た。
レストランの食事とバス代以外何も費わなかったが、楽しい一日を過ごせた。
2011年10月20日木曜日
パラグアイの通貨/Dinero en Paraguay
居るうちにパラグアイの通貨を記録しておこうと思う。
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通貨単位は「グアラニー」。
「ガラニー」と言う人もいるが、「Guarany」と書くから「グアラニー」が正式だろう。
通常Gs(グアラニーエス)と表記されている。
ちなみに円はスペイン語圏なので「ジェン」と発音される。
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さて今流通しているのは、札が100,000Gs、50,000Gs、20,000Gs、10,000Gs、5,000Gs、2,000Gsの6種類で、コインが1,000Gs、500Gs、100Gs、50Gsの4種類。
(100,000札は、新旧3種が手元にあったので写真に載せた)
桁が多く数えにくいので、こちらの人達はGsを言わないで、mil(ミル=1000)を付けて100mil、50milなどと数える。
バス料金は2300Gsなので、「2mil300(ドスミル・トレスシエン)」などと言う。
ただ「12(ドセ)」との区別のためでもあるようだが「s」の発音を省く傾向があるので、「ドミルトレシエン」と言うことのほうが多い。
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1ドル換算は、この国に来た昨年の9月末あたりは5,000Gsに迫る勢いだった。
この時は確か1ドル86円あたりだったと思うので、1円が58Gs位だったことになる。
でも、米国デフォルト問題あたりからドルが急に3500Gs位まで下がって、狂牛病問題でドルが上がっているはずの今もあんまり戻らず4000Gs前後で推移している。
1ドル77円だとして計算すると、1円が52Gsくらいか。
めんどくさいので日頃は1円=50Gsで計算している。
100,000Gsで2,000円だ。
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10,000Gsと5,000Gsは老朽化して汚くやぶれもあるような札があまりにも多いので、さすがに中央銀行が最近回収して新札と交換し始めた。
古い方は、もう「え!」と思うほどボロボロが多い。
この写真は、すいぶんマシなのを選んで載せた。
札では2,000Gsが一番特徴的で、紙ではなくプラスチック製のような感触で、透明な窓があり、折り曲げにくく、かさ張る。
できればあまり持ちたくないが、よく留まる。
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コインは、右写真の上から順番に、1000Gs、500Gs、100Gs、50Gs。
50Gsだけはアルミ風の安っぽい質感だが、他は新品のときは、日本の100円玉や500円玉のようにキラキラと輝いている。
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お金のパターンは写真を見れば分かるように、片面には歴史上の人物が描かれ、裏面はだいたい建物が描かれている。
コインは、面白いことに裏表で上下が逆になってる。
パラグアイの人たちは、まぁ他の国もそうなのかもしれないけど、とても愛国心が強い。
このお金の人物や建物についても、ちょっと年配の物知り顔の人に質問すれば、たくさんの話をしてくれるはずだ。
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歴史と言えば、原住民の言葉であるグアラニー語はスペイン語と並んでこの国の公用語になっている。
そして、かつて国策でもあったようだが混血が進んでいるので、他の国に見られるような人種差別はあまり無いようだ。
原住民の神話も言葉と共に生きているようで、神話に登場する妖怪のようなモノを本当にいると信じている人も居るのには驚かされた。
まぁ日本でもあちこちに民話が残されていて、自然の中に住む神々やカッパ伝説などが今もあちこちで信じられているから、自然と共生して生きて来た人々の自然を畏敬する気持ちの現れなんだろうな。
ボクが思うに、それはいいことだ。
自然の中にはやはり神が潜んでいて欲しい。
※参考サイト
http://www.bcp.gov.py/index.php?option=com_content&view=article&id=34&Itemid=188
(パラグアイ中央銀行)
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聖人ロケ・ゴンザレス。裏はItaipuダム |
「ガラニー」と言う人もいるが、「Guarany」と書くから「グアラニー」が正式だろう。
通常Gs(グアラニーエス)と表記されている。
ちなみに円はスペイン語圏なので「ジェン」と発音される。
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さて今流通しているのは、札が100,000Gs、50,000Gs、20,000Gs、10,000Gs、5,000Gs、2,000Gsの6種類で、コインが1,000Gs、500Gs、100Gs、50Gsの4種類。
(100,000札は、新旧3種が手元にあったので写真に載せた)
桁が多く数えにくいので、こちらの人達はGsを言わないで、mil(ミル=1000)を付けて100mil、50milなどと数える。
バス料金は2300Gsなので、「2mil300(ドスミル・トレスシエン)」などと言う。
ただ「12(ドセ)」との区別のためでもあるようだが「s」の発音を省く傾向があるので、「ドミルトレシエン」と言うことのほうが多い。
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著名なギタリストのアグスティン・バリオス。裏もギター |
でも、米国デフォルト問題あたりからドルが急に3500Gs位まで下がって、狂牛病問題でドルが上がっているはずの今もあんまり戻らず4000Gs前後で推移している。
1ドル77円だとして計算すると、1円が52Gsくらいか。
カンタロ(壷)を抱くパラグアイ女性。裏は中央銀行 |
めんどくさいので日頃は1円=50Gsで計算している。
100,000Gsで2,000円だ。
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最初の執政官フランシア博士。裏は独立革命の様子 |
初代大統領カルロス・A・ロペス。裏は大統領府 |
古い方は、もう「え!」と思うほどボロボロが多い。
この写真は、すいぶんマシなのを選んで載せた。
ニャンドゥティの創始者スペラッティ姉妹。裏は行進 |
札では2,000Gsが一番特徴的で、紙ではなくプラスチック製のような感触で、透明な窓があり、折り曲げにくく、かさ張る。
できればあまり持ちたくないが、よく留まる。
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1milは英雄霊廟。裏はロペスJr. |
50Gsだけはアルミ風の安っぽい質感だが、他は新品のときは、日本の100円玉や500円玉のようにキラキラと輝いている。
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お金のパターンは写真を見れば分かるように、片面には歴史上の人物が描かれ、裏面はだいたい建物が描かれている。
コインは、面白いことに裏表で上下が逆になってる。
500Gs。中央銀行 |
このお金の人物や建物についても、ちょっと年配の物知り顔の人に質問すれば、たくさんの話をしてくれるはずだ。
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歴史と言えば、原住民の言葉であるグアラニー語はスペイン語と並んでこの国の公用語になっている。
そして、かつて国策でもあったようだが混血が進んでいるので、他の国に見られるような人種差別はあまり無いようだ。
100GsはHumaitá遺跡 |
まぁ日本でもあちこちに民話が残されていて、自然の中に住む神々やカッパ伝説などが今もあちこちで信じられているから、自然と共生して生きて来た人々の自然を畏敬する気持ちの現れなんだろうな。
50GsはAcarayダム |
自然の中にはやはり神が潜んでいて欲しい。
※参考サイト
http://www.bcp.gov.py/index.php?option=com_content&view=article&id=34&Itemid=188
(パラグアイ中央銀行)
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